2009年03月01日

第62回「連休の過ごし方のススメ@タイランド」

「●肉体を理想型に近づける。体重約65キロ⇒62キロ、体脂肪率約22%15%に。●太極拳の習得 ●ヨーガの習得 (中略)●食生活の改善:時には消化器系を休め、より消化力を高めるために最低月に一回はフルーツ絶食を実施。(後略)・・・」

これらはいったい何かというと、2005年1月、当欄連載開始第一回原稿からの抜粋だ。

 「癒しの知恵を求めて」というタイトルの連載開始に当たって、筆者自身の健康の向上に関する目標を列記したのだ。

第1回「ほんのりと、癒しを求めている人達を照らす灯火となれば・・・

以後3年間、連載を通して鍼治療、ヨーガ合宿、ボランティア体験、オーガニックファーム訪問などなど、タイの環境で出来るさまざまな体験やトリートメント、これらを通して得られた情報や気づきを当欄で報告してきた。


 冒頭のそれぞれに項目について、筆者自身にはどのような進捗が見られただろうか? 

1.肉体を理想型に近づける。体重約65キロ⇒62キロ、体脂肪率約22%15%に。

●体重は66キロに増えてしまった。体脂肪率は平均20%に。結婚など、筆者自身の食の原則を厳密に実施できなくなったのが原因と思われる。


 2.太極拳の習得

●太極拳は挫折した。筆者はどうも集団、グループで行うものは苦手なようだ。


 3.ヨーガの習得

●インドのヨーガ研究所で専門的な研究をされ、タイのヨーガ・インスティテュートのアドバイザーをしている日本人のA先生と出会う。A先生の集中的な合宿に参加することなどによって基礎から学ぶことができた。一人でも実践ができ、生活習慣のひとつとなった。

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※ヨーガの合宿を行ったバンコク郊外のアシュラム 
4.食生活の改善:時には消化器系を休め、より消化力を高めるために最低月に一回はフルーツ絶食を実施。・・・

●なかなか都会での生活をしていると、その機会を持つのは難しかった。ヨーガ合宿の際はほぼ菜食を実践したが・・・。

 

どうやらコラムを連載することと筆者の体型の変化には直接的な関連性はなかったようだが、ヨーガがきちんと日々の生活の中で習慣化するなど明らかな成果も得られた。

 

さて、まもなくゴールデンウイークだ。日本からやってくるたくさんの旅行者たちには、寺めぐり、象乗りトレッキングなどのタイならではの観光ももちろん体験していただきたいと思う。


 だが、時には少し趣向を変えて、タイの環境だからこそ出来るさまざまな癒しの体験プログラムを是非体験していってもらいたいと思う。
以前、ボランティア体験ツアーに参加したことのある20代後半の青年Tさんから寄せられた手紙は、次のように締めくくられていた・・・。

「今回の研修で僕はタイは『癒しの大地』という意味がわかった気がしました。タイで過ごした日々は、いつも笑顔に囲まれて幸せの一言でした。谷田貝さんがタイを好きになった気持ちもわかった気がします。これからは癒しの気持ちを忘れずに、自分にも人にも優しくなれたらと思います。」

(2008年4月掲載) 

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※アシュラムの中に咲いていたお花。  
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2009年02月25日

第61回「雑草という名の草はない」

「(前略)チェンマイ、ランプーンも時々雨が降るようになりました。農業者には、山の木たちには嬉しい雨ですが、雑草の芽も一緒に飛び出します。(後略)」

 

3月も下旬になり、バンコクもだいぶ気温が上がり、いよいよ本格的な暑季到来のようだ。

 

そんなある日、筆者が主宰するコミュニティー「バーンタオ村」の村人で、ランプーンにお住まいのSさんから、いかにも北タイの自然の息吹を感じさせるようなお便りを頂戴した。

 Sさんは60歳を越えた今も、ランプーン近郊で農業に打ち込んでおられる。「(雑草は)気温があるので日本よりも遥かに早いスピードで育ちます。熱帯農業は日本以上に雑草との戦いです。しかし雑草という名の草はない、とどこかの高貴なお方が申されたように、北部急斜面の農地では、土壌の流亡を防いでくれる強い味方でもあります。

メルマガ(=村人誌)によれば、毎日たいそうお忙しいようですね。どうぞお体に気をつけて、長くこのプロジェクトを続けられますように。S」

 

雑草という名の草はない、か・・・。

 短いが、鋭い教訓をいくつも感じさせてくれるとてもいいお話だなと思った。

Sさんは雑草の芽吹きで季節の変化と自然との共生を感じたのであろう。

 四季の豊かな日本からタイ・バンコクに移り住んだ日本人の多くはとかく、この地を季節の変化に乏しい土地柄と感じているのではないだろうか?

しかし実際は暑季には熱帯特有の美しい原色の花々が咲きみだれ・・・、雨季には樹木の瑞々しい緑がしたたり・・・、乾季は日本の秋空を思わせる凛とした空気を感じることが出来るはずだ。

 

もし、それらを実感することができないとすれば・・・

 バンコクという大都市での生活の中、私たちの五感が鈍っているのだ。

やはりSさんのような自然の中でのお仕事は羨ましい。機会があれば、Sさんの農場を拝見し、自然の中での生活を体験したいものだとも思う。

 しかし、バンコクという都会に住む私たちも、日々の生活の中にヨーガや太極拳を取り込むことなどで、心身の調和を促し、わずかな変化かもしれないが、微妙な自然からのメッセージを体感する能力を高めることができるのではないだろうか?そうすれば自然の変化を楽しむことができると同時に、他人の心の変化も感じることができ、優しい気持ちを持てるようになれるのかもしれない。 

日々の生活に工夫をとりいれ、五感を取り戻そう。季節感を取り戻そう。優しさを取り戻そう。

(2008年3月掲載)

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2009年02月21日

第60回「バーンタオ村クラブハウスについて・・・」

「さて、現在バーンタオ村クラブハウスの客室稼働率は、なんと75%!!なんです。

ま、4部屋のうち3部屋が埋まってるだけなので、なにもえばるほどのことでもないのですが・・・」(筆者発行会員向けメールマガジンより抜粋)

 

バーンタオ村クラブハウスとは、今のところあくまで仮称なのだが、昨年末我が家が比較的部屋数の多いタウンハウスに引越したので、以前からやりたいと思っていたホームステイのお世話を開始した。

 

筆者は将来、「健康こそ幸福の基盤」という信念に基づき、「人間の幸福とはどういうことか?」が一目で判るような滞在施設を運営したいと思っている。ただ、起業以来7年間、なかなか目標に近づかないというのがジレンマだった。

 そこで、今はバーンタオ村という筆者が主宰するロングステイ交流コミュニティーの会員が限定だが、ここバーンタオ村クラブハウスを拠点にタイでの生活体験、文化体験への入り口として、お世話をさせていただきたいと考えた。お客様の近くに身を寄せることによって、筆者も経験知を積み、将来の夢の実現の際に活かしたいと・・・。

【バーンタオ村とは?】 http://www.baantao.com/baantaomura/

 そんな中、冒頭にも記したように、2月の中旬、まだ何も宣伝もしていないというのに一度に3人の方が約一週間ほどお泊りになった。

 

どんな方々かというと・・・

 「歩くバンコク」はじめ旅行ガイドブック「歩く〜」シリーズを出している出版社の社長Nさん。http://www.aruku-net.jp/index.html

Nさんの仲間で、当地無料情報誌のブログを作っているMさん。http://www.daco.co.th/

Mさんの後輩で、これから日本でロングステイの送り出し会社を作ろうとしているOさん。

そして、ある日の夕方には、ホーチミンで「SKETCH」という情報誌を出しているNさん、http://www.vietnam-sketch.com/

 やヴィエンチャンでやはり無料情報誌を出しているMさんも合流して彼らとの打ち合わせが行われた。

さながら、バーンタオ・クラブハウスのリビングは、東南アジア情報誌サミットという様相を呈していた。急遽ホーチミンのNさんが泊まることになったので、その日はなんと稼働率100%を達成してしまった。
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※リビング

駅までは歩いて10分くらいかかるが、短いソイ(横丁)が行き止まりになっているので車バイクの交通量も少なく、スクンビット沿いのバンコク市内中心部としては珍しく静寂な環境だ。朝は比喩ではなく小鳥の囀りで目覚めることができる。

このような場所を、文字通りクラブハウスとして会員やそれに準ずる方々の交流のサロンとしてご利用いただければと思っている・・・。そして何か、今までになかった活動が生まれれば楽しいではないか?(谷田貝)

(2008年3月掲載)

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※都心なのに緑も豊富

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2009年02月15日

第59回「本当にスペインに行くかどうか・・・」

「退官後は天下りなんかせず、スペインに移住する」

そのように公言し続けている高級官僚がいるそうだ。

 

1月末から2月初旬(注:2008年)にかけて約20年ぶりに真冬の日本を経験し、大雪の前日タイに帰国した。1月30日横浜、1月31日東京で行われたタイ国政府観光庁が主催するセミナーにパネリストとして参加し、その翌日経済産業省管轄の財団法人ロングステイ財団の総会に海外ロングステイサロン運営受託会社として出席したのだ。

 公益法人の総会に参加するのは初めてで、しかも会場がニュースによく登場する有楽町の外人記者クラブだったので、最初は御のぼり気分だった。だが、総会が始まってみると、眠けを押さえるのが大変だった。

しかし、一箇所とても興味深い部分があった。

 総会の途中、経済産業省の北畑隆生事務次官の挨拶がDVDで流れた。まさにこの人がかつて約20年前に流行ったシルバーコロンビア計画発案の張本人だったのだ。

計画発案の経緯は、彼がスペインの日本大使館に出向しているときの体験が元になっている。

 

その当時、スペイン南部には北欧やドイツなどそれぞれの国民が暮らすスウーデン村、ノルウエー村、ドイツ村とでもいうようなコミュニティーが出来ていて、スペインの役人から日本村も作ったらどうか?と勧められたそうだ。

 芥川賞作家の堀田善衛さんもその当時バルセロナにロングステイ?中で、親交があり、彼らの暮らしぶりから着想を得た・・・との事だった。

しかし、20年後の現在、ユーロ高でスペインの物価も急激にあがり、円ベースで約2倍の生活費がかかるそうだ。北畑事務次官と同期の高級官僚の間では、本当にスペインに行くかどうか監視する会というものが発足されたらしい・・・。

 20年後の経済状況がどうなるか、いくら経済官僚とはいえ正確には予測できないだろうから、監視されるのも可哀想な気もする。

しかし、ロングステイ財団総会で聞いた北畑事務次官の話の中には、シルバーコロンビア計画失敗の理由について真摯な反省が一切無かった。その原因をマスメディアからの反対キャンペーンだけに結論付けているのはいかがなものか?と感じた。

 

シルバーコロンビア計画には何が欠けていたのか?

 今、シルバーコロンビア計画が、海外ロングステイという言葉に代わったとき、その問い掛けが、とても重要だ。

その問い掛けの中に成功の秘密が隠されているように思う。

 中国在住の友人から以下のメールが届いた。「(前略)先日北畑次官についての新聞記事を読みました。(中略)

『何が欠けていたのか』を議論するよりも本人がステイしてみて、その日記をブログで公開すれば、自ずと理解できるのではないでしょうか??(それが責任を果たすと言うことでしょう!!)

 人間は自分がその立場になれば、『思い至る』ことが必ずあると思います。将来ロングステイを目指す私としても、人の事は言ってみたものの、自分の明確な見通し、計画がないことに気が付きました。将来日本円が弱くなり、東南アジアの物価が高騰した際、経済難民にならないようにしっかりと考えて生きたいものです。」

(谷田貝)

(2008年2月掲載)

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2009年02月07日

第58回「驚いたような微笑みときれいなワイが-----メーチー・サンサニーさんについて」

「メーチー・サンサニーさんのところに行かれたとのこと。三年近く前、大阪の中之島公会堂で彼女の話を聞きました。『a Walk of Wisdom』というドキュメンタリー映画と彼女の講演と一筆書き墨象形の個展。アーティストとしても素晴らしい人です。(後略)」

 

1月中旬の良く晴れた土曜日、筆者のヨーガの師匠でインド哲学にも造詣の深いA先生の案内で、バンコク郊外のランジット地区にある瞑想寺「ワット・パンニャーナンダラーム」と、バンコク都内の「ラームイントラ」地区にある「サティラ・ダンマ・サタン」を訪れた。

 

「ワット・パンニャーナンダラーム」は、現代タイの高僧「パンニャーナンダ・ビク」によって開設された近代的な瞑想寺。
http://www.watpanya.org/

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「サティラ・ダンマ・サタン」は、タイの尼僧「メイチー・サンサニー」さんの運営する近代的な瞑想センターだ。
http://www.sdsweb.org/en/index.php

 この日一日、A先生の解説つきのとても贅沢なツアーだった・・・。

この日のことを、筆者の発行する日刊のメールマガジンに記載したところ、西宮にお住まいのYさんから冒頭のお便りを頂戴した。

 

メーチー・サンサニーさんの主宰する「サティラ・ダンマサタン」は、おそらく彼女の人柄、才能がそのまま現れているのであろう、滋味豊かな本当に素敵な場所だった。

 敷地は周辺の喧騒を遮る深い緑に覆われ、バンコクでは珍しく起伏に富み、よく手入れされている。丁度子供の日で、たくさんの親子連れが訪れていた。

庭園では、日本の文楽にあたるのだろうか、伝統的な人形劇のパフォーマンスが、ジョールイスシアターの若者たちによって演じられていた。

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 何より感銘を受けたのは、我々が外国人だとわかると、ボランティアの人たちがどこからとも無く現れ、色々と世話を焼いてくれたことだ。場内でのイベントの案内はもちろん、タイ古式マッサージの場所までの道案内などなど。

靴を脱いで敷地内の仏殿に入り礼拝を済ませ出てきたとき、一行の靴がキチンとつま先を外に向け揃えて並べられていたのには驚いた。

 

ホテルなどサービス業の現場とは違い、何の代償も求めていない親切はとても好感のもてる新鮮なものだった。

 ちなみにメーチーとは、尼僧のような格好をしているが、僧侶ではない。上座部仏教(=テラワーダ仏教)では、女性は僧籍に入れないのだ。

在家信者ではあるものの、お寺やそれに類するところに寄宿し、仏教に帰依する女性・・・とでも訳すのだろうか?

 

気持ちの良い乾季の一日、A先生の解説、メーチー・サンサニーさんの元に集まる信者、ボランティアたちの心遣いもあり、通り一遍の内容の観光ツアーではない、文化的に高度な内容のツアーを体験することができた。

 

「講演の後、私がワイをして『コープクンクラップ』と言ったら驚いたような微笑みときれいなワイが返ってきました。(谷田貝注:ワイ=合掌)ホントにキレイなワイでした。

 タイでは彼女に関する本も出版されているようですが、是非日本にも紹介されるべき方だと思います。『We can touch only this precious present moment

メーチー・サンサニーさんの素敵な言葉です。来月7日にチェンマイからバンコクへ行きます。

 今回行かれた時の話も楽しみにしています。

(後略)」

 Yさんのお便りはこのように結ばれていた。

(谷田貝)

(2008年1月掲載)

 
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2009年02月03日

第57回「バーンタオ村@バンコクとは?」

「今日の午前中、バンコク郊外のお寺から3人のお坊さんにお越しいただき引越しの儀式をしていただきました。」(筆者発行の日刊メールマガジンより抜粋)

 

昨年、暮れの慌しさの中引越しをした。スクンビット・ソイ49から47へ。ただ隣のソイに移動しただけなのだがやはりそれも引越しは引越しだ。荷物が膨大に増えていて難儀した。

 

1988年の来タイ以来、これでバンコクでの引越し回数は十数回になった。思えば一番最初の引越しはスーツケース一個だった。その後セダン一台、ワゴン車一台、小型トラック一台、そして今回は二台と、段々荷物が増えていく。出来るだけ、例えば1年間袖を通さなかった服は処分しようなど、色々と工夫はしているつもりなのだがなかなかうまくいかない。貧乏旅行している時の、「移動はリュック一個」という具合に身軽になりたいものだ・・・。

 

引越しの数日後の日曜日、冒頭の通り3人の僧侶をお招きしお清めの儀式を執り行った。

 

筆者の嫁や、嫁の親戚のおばさん、お姉さんたちが早朝から我が家に集まり、市場に買出しに出かけたり、僧侶に供する料理を作ったりと大忙しだった。こういう場面で男の役割はあまりない。

 

準備があらかた整った後、嫁がお寺までお坊さんをお迎えに行き午前10時頃から儀式が始まった。

 

応接間のソファーを片付け、自宅でお預かりしている仏像を一方において仏壇を作り、その前に3人の僧侶に並んでいただく。60歳から70歳くらいの、住職、副住職クラスであろう、なかなかのベテランが来てくださった。

 

彼らの読経に時折唱和しながら儀式は進行していく。

 

一通りの読経が済んだ後、早朝から作ったお料理をまずは僧侶から召し上がっていただく。

 

筆者が傍に付き添って、配膳のお世話や話相手をさせていただいた。やっと少しは役にたてたようだ。

 

彼らの食事が済んで再度の読経だ。

 

途中一番年嵩の僧侶が立ち上がった。儀式開始直後、火のついた蝋燭から垂れる蝋を使い、恐らく経文を書きこんだのであろう鉢の聖水を、木の枝を束ねた物で振り撒き、家中を清めてくださった。階段の多い家だが、最上階まで清めてくださった。

 

これで約二時間の儀式は無事終了した。

 僧侶を車で送り出した後、手伝ってくれた皆で床に車座になって食事を頂いた。

田舎言葉が飛び交うので、嫁の実家(シーサケット県)に帰ったような懐かしい気がした。

 

さて、この新居だが、寝室が6つある。筆者が経営する会社の登記もここに移し、オフィスと新居を兼ねる予定だ。そして筆者が主宰するロングステイを希望する人たちを対象にしたネット上のバーチャルコミュニティ「バーンタオ村」のクラブハウスとしても開放するつもりだ。

 

【バーンタオ村とは?】 http://www.baantao.com/baantaomura/

 

会員の皆さんのタイ国での生活の「はじめの一歩」、足がかりの場として活用していただければと考えている。バーチャルのコミュニティーからリアルワールドのコミュニティへの「はじめの一歩」でもあるのだ。(谷田貝)

(2008年1月掲載)

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2009年01月31日

第56回「『人間の幸福ってなんだろう?』―GNH(国民総幸福)について―その3」

「あれ?全然悲惨じゃないじゃないか?」

学生時代の旅が、自分の凝り固まっていたアジアや途上国への先入観を覆したと前号で書いた。

 

厳しい現実もあるだろうが、そこで目にした「豊かさ」や「幸福」を象徴する光景が強烈であったと・・・。

 

以来、「人間の幸福ってなんだろう?」が、筆者の人生のテーマとなった。

 

その答えのヒントがアジアに、そしてここタイにありそうなので、大学を終えてすぐにバンコクにやってきた。19884月のことだ。

 

その後、約20年の歳月の流れの中で、東洋医学的な健康観やウエルネスという概念との出会いがあった。実際にその分野で活躍する方々や、病気や事故で後遺障害を負ったものの、タイに来て様々な治癒を経験されたという人との出会いがあった。

 その経験のなかから、「タイには人を癒す力があるんじゃないか?」人間にとって「健康こそ幸福の基盤」なのではないか?

という仮説がうまれた。

その直後に筆者は前号で記述した会社を設立した。

筆者は医者でも科学者でもない。この仮説の証明をしようとは考えなかった。事業の実践者として、ただ淡々と沢山の事例を残したいと考えるだけだった。

 しかし・・・最近、「それでは社会は変わらない。」と考えるようになった。下記の言葉が、起業時の筆者のメモ帳に書きとめてある。「私たちの力だけで社会を変えようとしているわけではありません。私たちの事業を社会が変るときのモデルにしたいと考えているのです。」

(大地を守る会会長 藤田和芳氏)http://www.daichi.or.jp/index2.html

 

筆者も、筆者の事業を、社会を変えるモデルにしないといけない。それには、事業のミッションやコンセプトを論理的に普遍性のあるものにしないといけない。そのためには・・・。

 

そこで出会ったのが、GNH研究所でありH代表であった。

   http://www.gnh-study.com

 

既存のメンバーは、主にブータンでの国際協力実践者たちだ。その経験に基づいて、幸福とは何か?豊かさとは何か?を学術的なアプローチで真剣に考えている人たちがそこにいることを知った。

 

既述の通り、筆者は学者でも国際開発の専門家でもない。学術的な論を立てるのは苦手だ。感覚的に物を言う癖がある。

 

しかし、それでは人に伝わらないのだ。まして、社会を変えることなどできやしない。

 

GNH研究所に参加することで他の研究員からさまざまな意見を伺い、自分のやってきたこと考えてきたことを論理的に構築し、人に伝える。その訓練をさせてもらえればと思う。

 

そして、自分の事業を通して、社会を変えたい、世の中を幸福な人であふれるようにしたいと考える。

 

最近、「健康」はもちろんだが、それと同時に「関係性の豊かさ」も幸福の基盤なのではないかと思うようになった。

 

このようなこともこの場、GNH研究所で、キチンと人に伝わるように訓練させていただきたいと思うのだ。

 (2007年12月掲載)  


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2009年01月27日

第55回「『人間の幸福ってなんだろう?』―GNH(国民総幸福)について―その2」

「(前略)私は、現在タイのバンコクで、主に障害をお持ちの方を対象にしたバリアフリーツアー、リハビリを目的とした長期滞在(ロングステイ)支援の仕事をしています。滞在中にタイの自然体験・文化体験・人との交流をしていただき魂を揺さぶり、心身の健康の維持・増進・回復を図っていただくことが目的です。そもそも、この事業を始めたきっかけのひとつとなったのは、学生時代のネパールの旅でした。(後略)」GNH研究所に提出した自己紹介文より抜粋。http://www.gnh-study.com/index.php )

今から二十数年前。その頃の筆者は、書物や新聞だけの知識で凝り固まり、第三世界の最貧国のひとつネパールは悲惨な状況に違いないというイメージを抱えてカトマンズの空港に降り立った。ところが、数日もしないうちにそのイメージはぼろぼろと崩れ去ってしまった。

 

ある日、ある地方の村で親しくなったネパール人に、彼も日本人の友人ができたことを自慢したかったのだろう、村中の親戚の家々を連れまわされた。

 

どこも貧しい農家で、まずは納屋に招き入れられる。土間では大体農婦たちが数人何やら作業をしている。縄を紡いだり、農具を直したり、赤ん坊をあやしたり。

 

すると、どの家でも、奥から自家製の焼酎が汚いコップに注がれて出てくる。煎った大豆が肴として供されることもある。

 土間の農婦が何かを云っている。友人がそれを英語に通訳し私に伝える。

「あんたは何歳だ?」

大体こういった感じだ。大した質問ではない。

「20歳ですよ。」

と答えると、皆で腹を抱えて大笑いする。何故だか判らない。

「あんたは学生か?」

「はい。そうです。」

大笑い。

何故だか判らない。

「あんたは結婚してるのか?」

「してません。」

大笑い。

何故だか判らない。

「兄弟何人だ?」

「二人です。」

大笑い・・・・

とにかく筆者が答え、友人がネパール語に通訳するたびに土間の農婦たちが大笑いする

「あれ?何故だか判らないが、全然悲惨じゃないじゃないか?」

筆者の目から鱗が落ちた瞬間だった。

質問など何でも良いのだ。ただこうして、皆と一緒に共通の空間で時間を過ごすことが心地よく楽しいのだ。

幸福なのだ。

確かに厳しい現実もあるだろう。

しかし、その後のネパールやタイの旅で筆者の印象に残ったのは、こうした「豊かさ」や「幸福」を象徴する光景ばかりだった。

以来、「人間の幸福ってなんだろう?」を追求することが、筆者の人生のテーマになったのだ。
(次号に続く)
(2007年11月掲載)


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2009年01月24日

第54回「『人間の幸福ってなんだろう?』―GNH(国民総幸福)について―その1」

「それ以来、『人間の幸福ってなんだろう?』が、私の人生のテーマになりました。

そのヒントがアジアに、そしてここタイにありそうなので、学生を終えてすぐバンコクにやってきました。(後略)」(GNH研究所に提出した自己紹介文より)

 

この夏、筆者はNPOGNH研究所の研究員となった。http://www.gnh-study.com/index.php

 GNH(国民総幸福)という言葉を聞いたことがあるだろうか?

ブータンと言う国は昨年のプミポン国王在位60周年記念式典に際して、皇太子(当時)の来タイが注目されたのでご存知だろう。

GNHは、その父ジグミ・シンゲ・ワンチュク元国王が1976年スリランカでの非同盟会議後の記者会見で初めて言及する。
 

「国民総幸福量(GNH)の方が国民総生産(GNP)より重要なのだ」と。このとき国王は若干24歳だった。

筆者は、そのブータンで長くボランティア活動に従事し、現在はバンコクで暮らすGNH研究所のH代表と昨年来交流を深めるようになった。どうやら目指す方向が同じらしいので研究員にならないか?とのお誘いをいただいたのだ。

GNH研究所ではGNHを以下のようにとらえている。

GNHは、私達が進むべき社会のあり方に対してある方向を示している。経済成長を追及し続けた先達たち。その功績は大きく、多くの人々は『物質的な豊かさ』を満喫することを知った。だが現在、多くの人々はその生きる意義や価値を見失い始めている。『貧しくとも心豊かであればそれなりの幸福感のある社会が実現できるのではないか』。GNHは、現代社会に対しての『次世代への羅針盤』である。(後略)」(GNH研究所HPより抜粋)


GNHという言葉が、Gross National Happinessの略であり、国民総幸福量と訳されているという知識はあった。だが、それはひとつのスローガンのようなものと理解していた。このひとつの言葉を突き詰めて研究し、社会に還元しようとしている人たちがいるとは知らなかった。

代表のHさんは、「私はGNH自身の数値化よりGNHを感じることが出来る環境整備に対しての数値化が良いのではと思っております。またGNHは他国への応用は可能で、特にアジア農村社会においては応用可能な概念だと考えています。」(GNH研究所HPより抜粋)


 同感だ。

ブータンで生まれた概念が、タイやその他アジアの農村に根付き、命が吹き込まれる・・・。とても素敵だ。


「貧しくとも心豊かであればそれなりの幸福感のある社会」か・・・それはかつてどこかで見た光景だ。


筆者の今の活動も学生時代バックパッカーをしている時に抱いた「人間の幸福って何だろう???」というクエッションから始まった。気づきの場所はブータンの隣ネパールだ。


以来20年。来タイ後、様々な経験を重ねる中で「健康こそ幸福の基盤」という理念・命題を得るに到った。だがこれも数値化は難しい。


にもかかわらず、同様に数値化しにくい「タイは癒しの大地である」という仮説を立てて事業を始めた。


しかし最近、理念をもっとしっかり構築、普遍化すれば、その事業は数値化、マニュアル化ができると考えるようになった。


その過程にNPO・GNH研究所との出会いがあったのだ。
(次号に続く)
(2007年8月掲載)  

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2009年01月21日

第53回「そして、あの本を読んでから20数年後・・・―小田実さん追悼記―」

「今朝のバンコク、突然の驟雨。さっと上がった後の西の空に綺麗な大きな虹がかかりました。何かの暗示のような気がしたのですが・・・。」(筆者発行日刊メールマガジンから抜粋)

その日はちょうどタイはカオパンサー(雨安居入り)だった。この日から出安居の日までの約3ヶ月の間、僧は仏教の修行に専念するため寺にこもるという。
その日の朝、この激しい雷雨の後の虹を眺めた後、いつもの日課通りインターネットでニュースをチェックしていた。この記事のところで目が釘付けになってしまった。

 「作家の小田実さんが死去 国際的な反戦運動に尽力」200707300352http://www.asahi.com/national/update/0730/OSK200707300001.html 

反戦、反核など国際的な市民運動に取り組んだ作家で、「ベトナムに平和を!市民連合(ベ平連)」元代表の小田実(おだ・まこと)さんが30日午前2時5分、胃がんのため東京都内の病院で死去した。75歳だった。(後略) 

「私が15歳か16歳の頃、高校の期末試験か何かでサッカー部の練習がない日だったと思います。試験勉強はしない主義?だったので、何か本でも読もうかなと、学校帰りに駅前の本屋に寄りました。」(メールマガジンより抜粋)

あの日の午後、あの本屋に入らなかったら、そしてあの本が棚に平積みされていなかったら、そしてその本を手に取らなかったら、今、筆者はタイのバンコクでこうした原稿を書いているだろうか?この文庫本をたまたま手に取ったことで、もしかしたら筆者の人生が決定付けられたのかも知れない。 

その本の題名は、「何でも見てやろう」。
(講談社文庫 概要は⇒ http://tinyurl.com/35a668 癌で闘病生活をされているということは聞いていた。だが、こんなに早くこの日がくるとは・・・。

今の政治的な立場はともかく、サッカー馬鹿だった私に、社会への目を開かせてくれたのは、間違いなく小田実さんのこの本だった。かなりのページ数だが、1晩で読了した。
その後、高校の世界史の先生に紹介された評論集など、彼の著作を貪るように読んだ。当初呑気に高校を卒業したらサッカー部の先輩たちの多くが進学する大学の体育学部にでも行って高校の体育教師になろうかな?と考えていた。

しかし、困ったことにそれどころではなくなってしまった。
それまでサッカーで熱くなっていたが、それよりもスケールの大きな熱さが世界中にはあるのだなあ・・・早く日本を飛び出したいなあ・・・と思うようになってしまったのだ。

あの本を読んでから20数年後、今、筆者はタイにいる・・・。

「谷田貝さんの原点は小田氏だったのですね人間は本当に不思議な生き物。心の向く方向次第で、そんなにも生き方が変わってくるんですね。一冊の本が生き方を変える、しかも誰にでも、ではなく、そこに共鳴する感性を磨いた人や、そのエッセンスを必要としていた人にだけ『チャンス』はそうやって人生の秘密を伝えてくれるのでしょうね。」

これは、福島県の高校で国語教師をする女性のメールマガジン読者からのお便りだ。彼女も、筆者配信のメールマガジンに出会わなければバーンロムサイ(HIV孤児院)のこともタイのことも、自分の将来の選択肢の一つとして考えることがなかったという。

「網の目のような緊密なつながりで、人はそれと気づかぬうちにつながっているのですね。そういえば、無数の銀河も立体の網目状に規則的に広がっていると最近教えてもらいました。驚きです。不可思議です。何かの力が働いているとしか思えません・・・」

筆者は確かに小田実さんとつながっていたのだと思う。
彼との出会いによって世の中の見方を授かった。そして「癒しの知恵」を得る場、タイとの出会いを授かったのだ。

参院選の自民党大敗のニュースが流れたその日、彼も旅立った。そのことも、象徴的な、ひとつの時代の区切りのような気がする。

「ご冥福をお祈りします。貴重な気づきを与えてくれてありがとうございました。」

(2007年8月掲載)

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posted by バーンタオ at 00:01| Comment(1) | TrackBack(0) | スピリチュアル・仏教関連