2008年10月24日

第46回「日本の医療や介護の一部を、タイが担う日が?――リハビリ難民について――」

「さて、昨日は午前中バンコク病院で行われた式典に参加してきました。日本人患者向けサービス『ジャパンメディカルサービス(JMS)』の開設30周年だそうです。http://www.bangkokhospital.com/japanese/default.asp(中略)普通この手のパーティーは形式的で退屈なのですが、(今回は)充分楽しめました・・・」(筆者発行の日刊メールマガジン掲載の日誌より抜粋)

それというのも式次第が盛りだくさんだったからだ。病院側の挨拶もそこそこに、来賓の旅行作家・下川裕二さんの講演、バンコクで活躍する若手俳優グループ・ワサビマンによるショー、タイ伝統舞踊を人形劇で表現するジョールイスシアターのショーなど興味深い内容が続いた。

実は開会前に、友人のSさんの紹介で下川裕二さんと少しお話をしていたこともあったのだが、とりわけ彼の講演を拝聴出来たのは有意義だった。

ご友人の母上がパーキンソン病を患っておりつきっきりの介護が必要とのこと。ご病気の母上はもちろんだが、下川さんのご友人も介護疲れが激しい。そのため、移住ではなく、一時期であってもタイでの母上の介護、そしてご友人にとっての介護休暇の実現を模索したことがある、その経験の中で、将来日本の医療や介護の一部を、タイが担う日がくるような予感がる・・・と、そのような趣旨の講演であった。

それは実は、筆者が現在取り組んでいるテーマでもある。丁度今、筆者の経営する会社でも脳梗塞の後遺障害をお持ちの方(50歳、男性)のお世話をさせていただいている。1月から3ヶ月の予定でバンコクに滞在されている。宿泊は通常のサービスアパートだが、筆者の会社の社員である介護師をほぼ毎日アテンドさせて、リハビリへの通院、その他身の回りのお世話をさせていただいている。

このような形ででも、下川さんのご友人の介護疲れを癒していただければと思った。 昨年春、日本の診療報酬制度が改定された。リハビリの日数制限が導入されたのだ。以来、所定の日数を超えリハビリを受けることが出来なくなった患者さんが急増している。

そのような方々を指してリハビリ難民と呼ぶのだそうだ。自らも脳梗塞の後遺症をもつものの、リハビリを続けたお陰で、「単なる機能回復ではない。社会復帰を含めた、人間の尊厳の回復」を果たせたという東京大学名誉教授多田富雄さんは「リハビリ中止は死の宣告」と題して朝日新聞に以下の投稿を行った。

「今回の改定によって、何人の患者が社会から脱落し、尊厳を失い、命を落とすことになるか。そして一番弱い障害者に『死ね』といわんばかりの制度をつくる国が、どうして『福祉国家』と言えるのであろうか。」
060408日:朝日新聞から抜粋 


上述の男性も昨年の4月から起算し6ヶ月目からリハビリの保険適用を打ち切られた。それから約2ヶ月、来タイするまでの間一切のリハビリを受けることが出来なくなった。

来タイ時は、昨年夏にお会いしたときよりも麻痺した右手の膠着が進行してしまったように見受けられた。 この方は恐らく、今年の春以降、タイへ移住されることになるだろう。「将来日本の医療や介護の一部を、タイが担う日がくるような予感がする・・・」

下川さんの予感が、今、現実のものになろうとしている・・・

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(バンコク病院の国際病棟)

(2007年2月掲載)   

2003年06月30日

第10回 「旅のリハビリ効果について 再び」

「またペナンに行きたいよ。」

今、3泊4日の旅から帰ってきたばかりというのに、空港に出迎えた筆者にNさん(76歳)はこのように云って笑わせてくれた。

ホテルに向かう車中でも口数が多く、その表情も旅行に行く前と比べ明らかに異なり、キラキラと輝いている。旅の間に何かが起こったようだ。

この1月から3月にかけてバンコクに滞在した福岡出身のNさん御夫妻。患っている病の影響で、言葉を発し難くなっている御主人。来タイ以来、筆者と顔を合わせても挨拶程度、滞在中の諸々の打ち合わせはもっぱら奥様とせざるを得なかった。

以前も数ヶ月の滞在を何度かされていたが、そのときは、時折冗談も飛ばし、飄々とした会話が持ち味だったのに、、、。ちょうどNさんのために何かできないものかと腐心していたところだった。

ところが、僅か3泊4日の旅でこの変化だ。数値では表すことは出来ないが、明らかに、Nさんには変化が、「癒し」がもたらされたようだ。

ペナンの海風に吹かれたのが身体に心地良かったのだろうか?

イギリス植民地時代の整然とした街並みが琴線に触れたのだろうか?

案内してくれたガイドさんの優しさが身にしみたのだろうか?

いずれにせよ、全く初めての土地の風物、人情に触れ、魂を揺さぶられたのは事実だろう。

数年前、筆者の父親(当時70歳)を半ば無理やりネパールに連れて行ったことがある。

そのくせ筆者は多忙のため途中で切り上げ、父親だけネパールに残してバンコクに帰ってしまった。もちろん親友のネパール人に託してだが、、、。

一週間後、カトマンズからの飛行機で帰国した父親を空港で迎えた際、開口一番「エライところを見せられてしまったなあ。」と一言。

一方には雄大なヒマラヤの山々の眺めなど自然の眺望の素晴らしさがある。もう一方ではカトマンズの下町の悲惨や、ヒンズー教聖地の火葬など、ショッキングな場面もある。

そのギャップを、ほんの少し非難がましく言っているのだ。

ところが、そういう父親の顔がキラキラ輝いているのだ。今も旅の興奮が収まらないと言った様子で、、、。その顔は、明らかに旅の前と比べると数年若返ったように見えたものだ。

筆者は医者でも科学者でもないから、こうしたことを科学的な裏づけをもって証明する必要はない。だが、ロングステイ中の余暇の過ごし方のひとつとして、近隣諸国への旅を是非お勧めしたい。そして、こうした「小さいけれでも確かな“癒し”の事例」をコツコツと積み重ねていきたいものだと考えている。

(2003年6月掲載)

090808_Mt Fishtail 6993m. (1).jpg※ヒマラヤの霊峰・マチャプチャレ(イメージです)

2002年02月17日

第3回「旅は最高のリハビリ  タイの大地の持つ力が、元気を…」

「前略 実はKさんが、昨日こんな事を云ってきました。『不思議な事にここ23日、すこぶる体調が良い。どうしたんだろう?旅ももう終わりだと言うのにもったいない。』不思議だ、不思議だを連発します。『帰るのを止めてしばらくここに住みましょう。』と云っておきましたが、実は、小生も、Kさんの表情が各段に明るく豊かになり、食事の量とともに口数が増えているのに気づいていました。…・・」

 

Kさん(64歳)。脳内血管障害で倒れ、約1年間、病院での闘病生活。退院はしたものの左の手足にマヒが残った。今は東京郊外のマンションで1人暮しをしている。

 

1月末から10日間、バンコクを基点に、アユタヤ、メーホンソン、チェンマイ、ゴールデントライアングルへと、Kさんと一緒に旅をした。障害を持つ人、高齢の人の旅をサポートする旅行会社「ベルテンポ」の高萩さんからの依頼だ。「今回のお客様は、車イスこそ利用されていませんが、杖で歩行するため、ペースがとてもゆっくりです。ですから、現地へ行ってみないとどの程度観光できるか、歩けるかはなかなか分からない。体調も日々違いますので・・・。」こうした理由で、今回は高萩さんとメールで相談しながら旅を進めて行った。

 

当初は小生の方に戸惑いがあった。大変おとなしい方で、あまり何を見たい、何をしたいと言わない。中途障害で仕方ないことだが、「こんな障害がでなければ・・・」というネガティブな言葉が話の端々に出る。自然こちらが提案するところに案内するのだが、感情表現も控えめだ。はたして満足頂いているかどうかが不安だった。

だが、高萩さんからは、「自分の考え方や思いは正面からお伝え頂いて大丈夫です。先天性の障害がある方と違い、その方がKさんも受け入れやすいと思います。充分にタイを満喫されていますのでご安心下さい。通常の観光で行かないごく普通の街歩きで十分です。生活者の視点で歩いて頂ければ大丈夫です。」このようなアドバイスを基に旅を進めて行ったところ徐々に表情が明るくなり、冒頭のような結果となったのだ。

 Kさんに変化をもたらした原因は何だったか?

「タイの大地の持つ力が、元気を与えた、癒しが起こったと確信します。クロントイスラムの中を歩いてもらう一方、現王宮内の王立学校を訪問する。世界一のオリエンタルホテルで食事をする一方、チェンマイでは蛙・昆虫まで食べる。最高気温35度のバンコクから、最高気温28度・最低気温16度のメコン河のほとりゴールデントライアングルへ。こうしてギャップを作り、全身を使って体験をしたことが魂を揺さぶったんでしょうね。ウエルネスのコンセプトは間違ってなかった。これから空港にお見送りしてきます。草々」

この旅最後の朝に送った高萩さんへのメールでのレポートだ。

バンコクの空港で分かれる際、「次はチェンマイに1ヶ月位住んでみようかなあ。」と呟いたその顔は、ストレスのない、とても良い表情だった。

(2002年2月掲載)

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