2009年02月07日

第58回「驚いたような微笑みときれいなワイが-----メーチー・サンサニーさんについて」

「メーチー・サンサニーさんのところに行かれたとのこと。三年近く前、大阪の中之島公会堂で彼女の話を聞きました。『a Walk of Wisdom』というドキュメンタリー映画と彼女の講演と一筆書き墨象形の個展。アーティストとしても素晴らしい人です。(後略)」

 

1月中旬の良く晴れた土曜日、筆者のヨーガの師匠でインド哲学にも造詣の深いA先生の案内で、バンコク郊外のランジット地区にある瞑想寺「ワット・パンニャーナンダラーム」と、バンコク都内の「ラームイントラ」地区にある「サティラ・ダンマ・サタン」を訪れた。

 

「ワット・パンニャーナンダラーム」は、現代タイの高僧「パンニャーナンダ・ビク」によって開設された近代的な瞑想寺。
http://www.watpanya.org/

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「サティラ・ダンマ・サタン」は、タイの尼僧「メイチー・サンサニー」さんの運営する近代的な瞑想センターだ。
http://www.sdsweb.org/en/index.php

 この日一日、A先生の解説つきのとても贅沢なツアーだった・・・。

この日のことを、筆者の発行する日刊のメールマガジンに記載したところ、西宮にお住まいのYさんから冒頭のお便りを頂戴した。

 

メーチー・サンサニーさんの主宰する「サティラ・ダンマサタン」は、おそらく彼女の人柄、才能がそのまま現れているのであろう、滋味豊かな本当に素敵な場所だった。

 敷地は周辺の喧騒を遮る深い緑に覆われ、バンコクでは珍しく起伏に富み、よく手入れされている。丁度子供の日で、たくさんの親子連れが訪れていた。

庭園では、日本の文楽にあたるのだろうか、伝統的な人形劇のパフォーマンスが、ジョールイスシアターの若者たちによって演じられていた。

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 何より感銘を受けたのは、我々が外国人だとわかると、ボランティアの人たちがどこからとも無く現れ、色々と世話を焼いてくれたことだ。場内でのイベントの案内はもちろん、タイ古式マッサージの場所までの道案内などなど。

靴を脱いで敷地内の仏殿に入り礼拝を済ませ出てきたとき、一行の靴がキチンとつま先を外に向け揃えて並べられていたのには驚いた。

 

ホテルなどサービス業の現場とは違い、何の代償も求めていない親切はとても好感のもてる新鮮なものだった。

 ちなみにメーチーとは、尼僧のような格好をしているが、僧侶ではない。上座部仏教(=テラワーダ仏教)では、女性は僧籍に入れないのだ。

在家信者ではあるものの、お寺やそれに類するところに寄宿し、仏教に帰依する女性・・・とでも訳すのだろうか?

 

気持ちの良い乾季の一日、A先生の解説、メーチー・サンサニーさんの元に集まる信者、ボランティアたちの心遣いもあり、通り一遍の内容の観光ツアーではない、文化的に高度な内容のツアーを体験することができた。

 

「講演の後、私がワイをして『コープクンクラップ』と言ったら驚いたような微笑みときれいなワイが返ってきました。(谷田貝注:ワイ=合掌)ホントにキレイなワイでした。

 タイでは彼女に関する本も出版されているようですが、是非日本にも紹介されるべき方だと思います。『We can touch only this precious present moment

メーチー・サンサニーさんの素敵な言葉です。来月7日にチェンマイからバンコクへ行きます。

 今回行かれた時の話も楽しみにしています。

(後略)」

 Yさんのお便りはこのように結ばれていた。

(谷田貝)

(2008年1月掲載)

 
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2009年02月03日

第57回「バーンタオ村@バンコクとは?」

「今日の午前中、バンコク郊外のお寺から3人のお坊さんにお越しいただき引越しの儀式をしていただきました。」(筆者発行の日刊メールマガジンより抜粋)

 

昨年、暮れの慌しさの中引越しをした。スクンビット・ソイ49から47へ。ただ隣のソイに移動しただけなのだがやはりそれも引越しは引越しだ。荷物が膨大に増えていて難儀した。

 

1988年の来タイ以来、これでバンコクでの引越し回数は十数回になった。思えば一番最初の引越しはスーツケース一個だった。その後セダン一台、ワゴン車一台、小型トラック一台、そして今回は二台と、段々荷物が増えていく。出来るだけ、例えば1年間袖を通さなかった服は処分しようなど、色々と工夫はしているつもりなのだがなかなかうまくいかない。貧乏旅行している時の、「移動はリュック一個」という具合に身軽になりたいものだ・・・。

 

引越しの数日後の日曜日、冒頭の通り3人の僧侶をお招きしお清めの儀式を執り行った。

 

筆者の嫁や、嫁の親戚のおばさん、お姉さんたちが早朝から我が家に集まり、市場に買出しに出かけたり、僧侶に供する料理を作ったりと大忙しだった。こういう場面で男の役割はあまりない。

 

準備があらかた整った後、嫁がお寺までお坊さんをお迎えに行き午前10時頃から儀式が始まった。

 

応接間のソファーを片付け、自宅でお預かりしている仏像を一方において仏壇を作り、その前に3人の僧侶に並んでいただく。60歳から70歳くらいの、住職、副住職クラスであろう、なかなかのベテランが来てくださった。

 

彼らの読経に時折唱和しながら儀式は進行していく。

 

一通りの読経が済んだ後、早朝から作ったお料理をまずは僧侶から召し上がっていただく。

 

筆者が傍に付き添って、配膳のお世話や話相手をさせていただいた。やっと少しは役にたてたようだ。

 

彼らの食事が済んで再度の読経だ。

 

途中一番年嵩の僧侶が立ち上がった。儀式開始直後、火のついた蝋燭から垂れる蝋を使い、恐らく経文を書きこんだのであろう鉢の聖水を、木の枝を束ねた物で振り撒き、家中を清めてくださった。階段の多い家だが、最上階まで清めてくださった。

 

これで約二時間の儀式は無事終了した。

 僧侶を車で送り出した後、手伝ってくれた皆で床に車座になって食事を頂いた。

田舎言葉が飛び交うので、嫁の実家(シーサケット県)に帰ったような懐かしい気がした。

 

さて、この新居だが、寝室が6つある。筆者が経営する会社の登記もここに移し、オフィスと新居を兼ねる予定だ。そして筆者が主宰するロングステイを希望する人たちを対象にしたネット上のバーチャルコミュニティ「バーンタオ村」のクラブハウスとしても開放するつもりだ。

 

【バーンタオ村とは?】 http://www.baantao.com/baantaomura/

 

会員の皆さんのタイ国での生活の「はじめの一歩」、足がかりの場として活用していただければと考えている。バーチャルのコミュニティーからリアルワールドのコミュニティへの「はじめの一歩」でもあるのだ。(谷田貝)

(2008年1月掲載)

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2009年01月21日

第53回「そして、あの本を読んでから20数年後・・・―小田実さん追悼記―」

「今朝のバンコク、突然の驟雨。さっと上がった後の西の空に綺麗な大きな虹がかかりました。何かの暗示のような気がしたのですが・・・。」(筆者発行日刊メールマガジンから抜粋)

その日はちょうどタイはカオパンサー(雨安居入り)だった。この日から出安居の日までの約3ヶ月の間、僧は仏教の修行に専念するため寺にこもるという。
その日の朝、この激しい雷雨の後の虹を眺めた後、いつもの日課通りインターネットでニュースをチェックしていた。この記事のところで目が釘付けになってしまった。

 「作家の小田実さんが死去 国際的な反戦運動に尽力」200707300352http://www.asahi.com/national/update/0730/OSK200707300001.html 

反戦、反核など国際的な市民運動に取り組んだ作家で、「ベトナムに平和を!市民連合(ベ平連)」元代表の小田実(おだ・まこと)さんが30日午前2時5分、胃がんのため東京都内の病院で死去した。75歳だった。(後略) 

「私が15歳か16歳の頃、高校の期末試験か何かでサッカー部の練習がない日だったと思います。試験勉強はしない主義?だったので、何か本でも読もうかなと、学校帰りに駅前の本屋に寄りました。」(メールマガジンより抜粋)

あの日の午後、あの本屋に入らなかったら、そしてあの本が棚に平積みされていなかったら、そしてその本を手に取らなかったら、今、筆者はタイのバンコクでこうした原稿を書いているだろうか?この文庫本をたまたま手に取ったことで、もしかしたら筆者の人生が決定付けられたのかも知れない。 

その本の題名は、「何でも見てやろう」。
(講談社文庫 概要は⇒ http://tinyurl.com/35a668 癌で闘病生活をされているということは聞いていた。だが、こんなに早くこの日がくるとは・・・。

今の政治的な立場はともかく、サッカー馬鹿だった私に、社会への目を開かせてくれたのは、間違いなく小田実さんのこの本だった。かなりのページ数だが、1晩で読了した。
その後、高校の世界史の先生に紹介された評論集など、彼の著作を貪るように読んだ。当初呑気に高校を卒業したらサッカー部の先輩たちの多くが進学する大学の体育学部にでも行って高校の体育教師になろうかな?と考えていた。

しかし、困ったことにそれどころではなくなってしまった。
それまでサッカーで熱くなっていたが、それよりもスケールの大きな熱さが世界中にはあるのだなあ・・・早く日本を飛び出したいなあ・・・と思うようになってしまったのだ。

あの本を読んでから20数年後、今、筆者はタイにいる・・・。

「谷田貝さんの原点は小田氏だったのですね人間は本当に不思議な生き物。心の向く方向次第で、そんなにも生き方が変わってくるんですね。一冊の本が生き方を変える、しかも誰にでも、ではなく、そこに共鳴する感性を磨いた人や、そのエッセンスを必要としていた人にだけ『チャンス』はそうやって人生の秘密を伝えてくれるのでしょうね。」

これは、福島県の高校で国語教師をする女性のメールマガジン読者からのお便りだ。彼女も、筆者配信のメールマガジンに出会わなければバーンロムサイ(HIV孤児院)のこともタイのことも、自分の将来の選択肢の一つとして考えることがなかったという。

「網の目のような緊密なつながりで、人はそれと気づかぬうちにつながっているのですね。そういえば、無数の銀河も立体の網目状に規則的に広がっていると最近教えてもらいました。驚きです。不可思議です。何かの力が働いているとしか思えません・・・」

筆者は確かに小田実さんとつながっていたのだと思う。
彼との出会いによって世の中の見方を授かった。そして「癒しの知恵」を得る場、タイとの出会いを授かったのだ。

参院選の自民党大敗のニュースが流れたその日、彼も旅立った。そのことも、象徴的な、ひとつの時代の区切りのような気がする。

「ご冥福をお祈りします。貴重な気づきを与えてくれてありがとうございました。」

(2007年8月掲載)

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2008年11月15日

第51回「もし人生がもう一度あるとしたら・・・――タイ人との結婚について:その2――」

「さて、昨夜結婚披露宴を済ませやっと今帰宅しました。(中略)70名くらいの比較的こじんまりとした会だったのですが、義理でおよびした方は一人もいないので、お蔭様でお集まりいただいた方々の暖かいご声援により、とてもすばらしい会となりました。(後略)」(筆者発行のメールマガジンより抜粋)

 

去る5月19日、その前週のタイ東北部シーサケット県での結婚式に引き続き、インペリアルクイーンズパーク37階日本食レストラン「華頂」の宴会場にて、筆者の結婚披露宴を執り行った。

 

丁度この日は筆者の43歳の誕生日でもあった。正真正銘の晩婚である。一時はタイの人との結婚などは考えず事業に打ち込もうと思っていたのだが、機会とはそうしたときにふと訪れるものなのかもしれない。

 

一応日本型結婚披露宴の進行を踏襲して、和やかな雰囲気の時間が流れていった。途中、柄にもなくケーキカットなども行った。

 

お開き間近、新郎の挨拶の直前に筆者の父親による挨拶があったのだが、一本とられた。

 

最初は硬い内容の原稿で練習をしていたので、そのような挨拶になるものと予想していたのだが・・・。

天然ボケなのか、ウケを狙ったのかわからないが、原稿を無視した独特の言い回し、ボケで、見事にご参加の皆様の爆笑を誘っていた。元銀行員とは思えないが、さすがに少年の頃宝塚歌劇団の演出家を目指し家出をしただけのことはある・・・。

 

こうなると、新郎の挨拶はやりにくくなる。

 

笑いを取った父親と張り合うわけにもいかない。こちらは堅くいこう・・・。

 

まず、新婦の田舎シーサケット県での結婚式の様子を描いた前回当欄掲載のコラムを朗読した。そのことでタイの人と結婚するということの意味を伝え、決意を語った。

 

低い声で朗読を始めると、それまで父親のスピーチの余韻で沸いていた場内がシーンと静まり聞き入ってくれた。

 

このコラムの朗読を終えたとき、大仕事が待っていた。両親へのメッセージだ。

 

筆者には、前々から両親に伝えたいと思っていたことがあった。ただ、面と向かって云うにはなかなか機会がないものだ。

 

しかし、両親が生きている間にどうしても伝えたい。伝えなくてはならないという言葉が数年前から頭にこびりついていたのだ。

 

今回、幸いにも結婚する機会を得た。

両親も 来タイする。

披露宴の最後の公的な挨拶に紛れ込ませて云ってしまおう。


機会はこれが最初で最後、他にはもうありえない。

実は披露宴を行うことが決まったときからそのように決意していた。 

ところが・・・  

実に、短い言葉なのだが、これからその言葉を口にしようと考えただけで不覚にも目頭が熱くなり、言葉が上ずってきてしまった。 

その言葉とは・・・     
「もし人生がもう一度あるとしたら、もう一度私をあなたたちの息子にしてください。嫌かもしれないけれども・・・」   

何とか聞き取ってもらえただろうか?


 声を振り絞って、ここまで話し、挨拶を終えた。

ご自身の両親の姿が脳裏に浮かんだのか、場内にはもらい泣きをしてくださった方もいたとか・・・。  
すこし湿っぽいお開きとなったが、来場者の方々と、同じ魂の震えを共有できたような気がする。 とても幸福な空間が生まれた。 

その後彼らがアーチを作り、花びらを降りかけながら送り出してくれた。

 

結婚式・・・もしかすると人生最大の癒しの場のひとつなのかもしれない・・・。

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(2007年6月掲載) 

 
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第50回「一人より二人の方がいいと思うことのほうが・・・――タイ人との結婚について――」

「行列が出発する時、村のお年寄りたちが周りを取り巻いて親族の代わりを務めてくれた。予めそれぞれの役割が決まっていたようだ。

このとき、この村、このコミュニティーに加えてもらったのだな・・・と実感し熱いものがこみ上げてきた・・・。(後略)」(筆者発行のメールマガジンより抜粋)

 

行列とは何か?

 

さる5月12日、カンボジアとの国境までわずか20数キロという、タイ東北地方最深部シーサケット県カンタララック郡で、筆者はこの地の女性と結婚式を挙げた。

 

行列とは、花嫁の実家に輿入れ(?)する際の、花婿の行列のことだ。タイの農村では、大体がこのような形式のようだ。嫁をもらうのではなく婿に入るのだ。

 

行列は、クローン・ヤオと呼ばれる長い太鼓を中心にした音楽隊を背景に、数十人から100人単位の隊列になることもある。

 

そこには通常、花婿の親族が付き添う。だが、当然この村に筆者の実の親兄弟はいない。

 

ところが・・・

 

冒頭に記したように、行列が出発する時、すぐに村のお年寄りたちが周りを取り囲んでくれた。そして、それぞれが「私があなたの父親だからね。」「私が母親よ。」と口々に云っては親族の代わりを名乗りでてくれたのだ。

 

老人たちが周りを固め、さらにその周りを、文字通り老若男女が踊りながら花婿行列は進む、・・・。それぞれの役割を演じながら・・・。

 

このとき、なにかとても暖かいものに包まれている思いがこみ上げてきた。このコミュニティーに迎え入れてくれたなあ・・・と、感じるときだった。20年もタイにいて、初めてタイの社会に受け入れてもらった、という気がした。

 花嫁の実家に到着後はじまった儀式も、進行は村の長老によって執り行われた。

この地方に住む人たちは日常、クメール語の一種を話す。

 

ほとんど新婦と一緒に祭壇の前に臥していたので頭上で何が行われていたかは詳しくはわからない。儀式自体はヒンドゥー教の影響がかなり強いのだと思う。

 

広間に飾られた祭壇も、村の老婆たちが前日終日かけてバナナの葉や、さまざまな熱帯の花を駆使して手作りしてくれたものだ。

 

式を司る長老の経文や呼びかけに従って、祭壇を中心に集まったお年寄りたちが色々な掛け声、祈りの言葉をかけてくれている(のだと思う・・・)。

 

次々に儀式が進行していく。言葉の意味は正確にはわからないものの、彼らの声を振り掛けられ、聖なる水や花びらを振りまかれているうちに、新婦との一体感が増してくる。そして、そのなかで、まるで癒しの粒子をふりかけられている感覚、不思議な幸福感を覚えていた。

 

そして突然、「ああ、終わったのだ。」という思いが沸き起こった。

 

学生の頃から始まった、アジアへの旅、長かった人生の一人旅が、やっと終わったのだと・・・。

 

これからは旅ではなく暮らし。

一人旅ではなく二人の暮らしが始まる・・・。

 

シーサケットでの式の後、京都に住むメールマガジンの読者からこんなお便り、そして素敵な俳句が寄せられた。

 「私はもう結婚してうん十年となりますが、一人より二人の方がいいと思うことのほうが多いです。子供もいない私たちには最後はお互いしかないって思っています。月並みですが、いつまでもお幸せに・・・谷田貝さんの結婚のご報告をお聞きして  

薫風に運ばれ届く吉左右(きっさそう)」

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(2007年5月掲載)
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2008年08月12日

第26回「精霊たちと遊ぶ心を・・・」

「良いピーが家に居ついてくれると良い事があるよ・・・」と、廻りのタイ人に勧められた。

 

その言葉に従い、正月3日の午前、昨年末引っ越してきたばかりの自宅兼事務所で祭祀を執り行った。

 

このように書くと大げさに聞こえるが、祭祀を司ったのは、普段はアユタヤで大衆食堂を営むタイ人夫妻だ。奥さんが霊媒師、ご主人が祈祷師といった役どころだろうか。正月休みでたまたまバンコクの親戚宅に滞在していたのを知り来てもらったのだ。

昔は日本でも、各村々に霊媒師のような存在の人物がいたという。普段は農民だったり鍛冶屋だったり・・・。そのような伝統が、ここタイではまだ普通に残っているようだ。

タイでの上座部仏教への篤い信仰は良く語られる。ところが、もうひとつ、アミニズム=精霊信仰も、まだまだ生活に根ざしているということだろう。

さて、精霊のことをタイ語でピーと言う。彼らは大きな樹木などの自然の万物、家屋などに宿る。これには善をもたらすピーと、悪をもたらすピーの二種類があるのだということを学生時代、タイ関連の書物で読んで知った。ピー・ディーはよい霊、 ピー・ラーイは悪い霊といった具合に・・・。我々が理解するところの霊といえば、後者の悪霊、幽霊の類だろう。それだけに、「善をもたらすピーもいるのだ」という発想に、とても新鮮な驚きと、そして何か楽しげなものを感じた記憶がある。


そして実際、タイの人たちが平気な顔をして、「昨日どこそこでピーを見た。」と云いあっている光景をたまに目にする。こちらは、ピーと言えば悪霊、幽霊をイメージしてしまい、いちいちドキッとしてしまうのとは大違いだ。突然精霊などと言い出して、読者も戸惑うだろうが、筆者はタイのこうした伝統・風習は尊重して暮らしていきたいと思っている。

自然の中の精霊の存在感に想いを致す感覚・能力というのも、やはり忙しすぎる先進国出身の我々が、どこかにおいてきてしまったものなのかもしれないからだ。人間は誰でも精霊を眼にし、語らうことが出来たんだと云う人もいる。

例えば、生後間もない赤ちゃん。何も見えない虚空を突然指差し、ニコニコと微笑んだり声を上げて笑ったりする光景を目にしたことはないだろうか?
 それは、我々大人たちには見えなくなった精霊たちと遊んでいるのだそうだ。

筆者に健康への気付きを与えてくれた心の師で、アメリカにおける代替医療の権威、アンドリュー・ワイル博士は、健康の要件として、身体的健康、精神的健康のほかに、霊性=スピリチュアルの健康ということを重視している。

「精霊たちと遊ぶ心」

歳を重ねる毎にどこかにおいてきてしまったそんな心を、タイの人達と暮らし精霊たちと暮らすこと(=タイの風習に触れること)で、少しずつ取り戻して行きたいものだ。タイで心身ともに癒されたという人が多いというのも、存外この精霊達の善なる行為の賜物かもしれないのだ。

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(田舎では結婚式も祈祷師がつかさどる)  


(2006年2月掲載) 
posted by バーンタオ at 18:38| Comment(0) | TrackBack(0) | スピリチュアル・仏教関連