2009年04月08日

第67回「まるで難民キャンプです――空港閉鎖顛末記――」

「この3日間のバンコクのお天気、急に乾季らしく涼しくなってきました。涼しくなったからといって、一連の政治的熱狂は残念ながら冷めていません。」(筆者発行のメールマガジンより)

 

筆者のお客様で、約一ヶ月のロングステイを楽しみ、1130日に帰国する予定のお客様がいた。名古屋・中部国際空港着のタイ航空をご利用予定だったのだが、空港封鎖以来、当地タイ航空の電話は何百回かけてもお話中。

 埒が明かないので直接交渉すべく、市内セントラルワールド内のホテルに仮設されたチェックインカウンターに行って驚いた。ホテルロビーというか、エントランスの中途半端なスペースに欧米人、日本人、その他世界各国の人人人・・・。

みな疲れきった表情で、どこが最後尾か判らない長蛇の列に並んだり、タイ航空のスタッフに詰め寄ったりしている。少し殺気立っているその場の空気は、正直怖いなと感じた。

 詰めているタイ航空の職員は親切に対応してくれた。だれに聞いても、それぞれが違う事を云うほどに現場は混乱していたのだが。

ただ、彼らを責める訳にはいかないと思った。少ない情報のなか、すくなくとも私には一生懸命対応してくれたので。

 その日ようやく判ったのは今日、明日飛ぶのは東京行きの臨時便だけ。しかも当日の分はすでに満席。翌12月1日早朝分臨時便のチェックインを待つカウンターも、すでに数百人の長蛇の列だった。

まさかこんなところに70歳近いご夫妻を何時間も並ばせる訳にはいかないな・・・。

 聞けば、大体空港のウタパオも完全にキャパシティを超え混乱しているという。ご本人たちに相談したところ、さほど急がなくてはならない事情が日本にあるわけではないという。まずは、パニックが一段落してからトライしなおすこととした。

一方、こんな光景にも出くわした。

 

3人連れのお客様のお世話をしている、旧知の日本語ガイドと出会った。若い20歳代の女性が、彼女の年老いた両親と一緒にタイに来ていたとのことだ。だが、私と同様、やはりご両親をとてもこの喧騒に巻き込ませる訳にはいかないと判断されたようだ。一人先に帰国することに決断された。

 

その旨をガイドに話し、自分ひとり日本へ帰るためにパスポートとチケットを渡した途端、大粒の涙が頬を流れ落ちる瞬間を目にしてしまった。楽しみにしていた、親孝行のためのタイ旅行もこれでは台無しだ。

 他にも欧米人の家族が疲れきって地べたに座り込み、子供が泣き叫ぶのをあやす気力も失った母親の姿も見られた。

仮に一時的にしても、親子離散や移送用のバスを集団で待つ光景など、まるで難民キャンプだ。

 

折りしも、セントラルワールドの正面は、丁度クリスマスと新年のきらびやかなイルミネーションが瞬き始めたところだった。そんな、バンコクでももっとも近代的な場所のど真ん中での出来事である。
(谷田貝)

(2008年12月掲載) 


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2009年02月21日

第60回「バーンタオ村クラブハウスについて・・・」

「さて、現在バーンタオ村クラブハウスの客室稼働率は、なんと75%!!なんです。

ま、4部屋のうち3部屋が埋まってるだけなので、なにもえばるほどのことでもないのですが・・・」(筆者発行会員向けメールマガジンより抜粋)

 

バーンタオ村クラブハウスとは、今のところあくまで仮称なのだが、昨年末我が家が比較的部屋数の多いタウンハウスに引越したので、以前からやりたいと思っていたホームステイのお世話を開始した。

 

筆者は将来、「健康こそ幸福の基盤」という信念に基づき、「人間の幸福とはどういうことか?」が一目で判るような滞在施設を運営したいと思っている。ただ、起業以来7年間、なかなか目標に近づかないというのがジレンマだった。

 そこで、今はバーンタオ村という筆者が主宰するロングステイ交流コミュニティーの会員が限定だが、ここバーンタオ村クラブハウスを拠点にタイでの生活体験、文化体験への入り口として、お世話をさせていただきたいと考えた。お客様の近くに身を寄せることによって、筆者も経験知を積み、将来の夢の実現の際に活かしたいと・・・。

【バーンタオ村とは?】 http://www.baantao.com/baantaomura/

 そんな中、冒頭にも記したように、2月の中旬、まだ何も宣伝もしていないというのに一度に3人の方が約一週間ほどお泊りになった。

 

どんな方々かというと・・・

 「歩くバンコク」はじめ旅行ガイドブック「歩く〜」シリーズを出している出版社の社長Nさん。http://www.aruku-net.jp/index.html

Nさんの仲間で、当地無料情報誌のブログを作っているMさん。http://www.daco.co.th/

Mさんの後輩で、これから日本でロングステイの送り出し会社を作ろうとしているOさん。

そして、ある日の夕方には、ホーチミンで「SKETCH」という情報誌を出しているNさん、http://www.vietnam-sketch.com/

 やヴィエンチャンでやはり無料情報誌を出しているMさんも合流して彼らとの打ち合わせが行われた。

さながら、バーンタオ・クラブハウスのリビングは、東南アジア情報誌サミットという様相を呈していた。急遽ホーチミンのNさんが泊まることになったので、その日はなんと稼働率100%を達成してしまった。
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※リビング

駅までは歩いて10分くらいかかるが、短いソイ(横丁)が行き止まりになっているので車バイクの交通量も少なく、スクンビット沿いのバンコク市内中心部としては珍しく静寂な環境だ。朝は比喩ではなく小鳥の囀りで目覚めることができる。

このような場所を、文字通りクラブハウスとして会員やそれに準ずる方々の交流のサロンとしてご利用いただければと思っている・・・。そして何か、今までになかった活動が生まれれば楽しいではないか?(谷田貝)

(2008年3月掲載)

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※都心なのに緑も豊富

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2009年02月15日

第59回「本当にスペインに行くかどうか・・・」

「退官後は天下りなんかせず、スペインに移住する」

そのように公言し続けている高級官僚がいるそうだ。

 

1月末から2月初旬(注:2008年)にかけて約20年ぶりに真冬の日本を経験し、大雪の前日タイに帰国した。1月30日横浜、1月31日東京で行われたタイ国政府観光庁が主催するセミナーにパネリストとして参加し、その翌日経済産業省管轄の財団法人ロングステイ財団の総会に海外ロングステイサロン運営受託会社として出席したのだ。

 公益法人の総会に参加するのは初めてで、しかも会場がニュースによく登場する有楽町の外人記者クラブだったので、最初は御のぼり気分だった。だが、総会が始まってみると、眠けを押さえるのが大変だった。

しかし、一箇所とても興味深い部分があった。

 総会の途中、経済産業省の北畑隆生事務次官の挨拶がDVDで流れた。まさにこの人がかつて約20年前に流行ったシルバーコロンビア計画発案の張本人だったのだ。

計画発案の経緯は、彼がスペインの日本大使館に出向しているときの体験が元になっている。

 

その当時、スペイン南部には北欧やドイツなどそれぞれの国民が暮らすスウーデン村、ノルウエー村、ドイツ村とでもいうようなコミュニティーが出来ていて、スペインの役人から日本村も作ったらどうか?と勧められたそうだ。

 芥川賞作家の堀田善衛さんもその当時バルセロナにロングステイ?中で、親交があり、彼らの暮らしぶりから着想を得た・・・との事だった。

しかし、20年後の現在、ユーロ高でスペインの物価も急激にあがり、円ベースで約2倍の生活費がかかるそうだ。北畑事務次官と同期の高級官僚の間では、本当にスペインに行くかどうか監視する会というものが発足されたらしい・・・。

 20年後の経済状況がどうなるか、いくら経済官僚とはいえ正確には予測できないだろうから、監視されるのも可哀想な気もする。

しかし、ロングステイ財団総会で聞いた北畑事務次官の話の中には、シルバーコロンビア計画失敗の理由について真摯な反省が一切無かった。その原因をマスメディアからの反対キャンペーンだけに結論付けているのはいかがなものか?と感じた。

 

シルバーコロンビア計画には何が欠けていたのか?

 今、シルバーコロンビア計画が、海外ロングステイという言葉に代わったとき、その問い掛けが、とても重要だ。

その問い掛けの中に成功の秘密が隠されているように思う。

 中国在住の友人から以下のメールが届いた。「(前略)先日北畑次官についての新聞記事を読みました。(中略)

『何が欠けていたのか』を議論するよりも本人がステイしてみて、その日記をブログで公開すれば、自ずと理解できるのではないでしょうか??(それが責任を果たすと言うことでしょう!!)

 人間は自分がその立場になれば、『思い至る』ことが必ずあると思います。将来ロングステイを目指す私としても、人の事は言ってみたものの、自分の明確な見通し、計画がないことに気が付きました。将来日本円が弱くなり、東南アジアの物価が高騰した際、経済難民にならないようにしっかりと考えて生きたいものです。」

(谷田貝)

(2008年2月掲載)

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2008年09月26日

第38回「ロングステイのロングテイル化?―日本人商工会議所での講演について」

「今日の午後、盤谷日本人商工会議所で講演をやりました。いつもの習い性なのですが、締め切りまでなかなか準備ができず、今朝も本来朝一番にメルマガ配信に着手するのですが、講演原稿の準備に追われてしまいました。午後、講演が終わった後も週刊誌の取材が入り、やっと夕方、知人のお店の一角を借りてこの原稿を書いています・・・。」(筆者発行726日付メールマガジンより抜粋。)

 

去る7月26日盤谷日本人商工会議所の観光広報産業部会で講演を行った。部会メンバーはタイで旅行業、運輸業、ホテル業などに携わる方々だ。いつも一般のお客様を対象にしたセミナーやオリエンテーションなどでは殆ど原稿などは使わない。メモ書き程度で対応している。それは手を抜いているということではなく、その方が、会場の反応を見ながら話しを進められるし、同時に素の自分が出せて良いんじゃないかと思うからだ。ただ、今回はそういうわけにはいかない。参加の皆さんは自分のビジネスに繋げようという考えで話を聞くだろう・・・。

 と、いうわけで、学生時代以来、試験に臨むような気の重い心境で準備をし、当日を迎えた。今回のタイトルは「『タイにおけるロングステイ事業』観光関連産業からのアプローチ」と大仰なものだ。サブタイトルは、とかく最近話題の「2007年問題・団塊の世代大量退職を前にして」とした。

筆者の考えでは、タイにおけるロングステイビジネスの将来性は、一言で表現すると「多様化とロングテイル化」だと思う。ロングステイのロングテイル化?それはいったいどういうことか?

「ロングテイルというのは、一時の売り上げが必ずしも多くないものの、ロングセール化する、売り上げ曲線が恐竜の尻尾のような形状になるということだと理解しています。2007年問題と称し、団塊の世代の大量退職と関連づけて、ちまたでは何度目かのロングステイブームが起こっています。しかし、私は、この2007年を境にした大ブレークはないと思っています・・・。」と講演では申し上げた。多少ゆるやかな増加はあるにしても、ビックバンは起こらないということだ。

これからロングステイマーケットの大ブレークを期待して聞きに集まった方々には、ちょっと白ける話の内容になってしまったかもしれない。

筆者がこのような考えをもった背景は、まず第一に、今までも、今回と同様なロングステイブームが何度かあった。だが、そのいずれも大ブレークにはいたらかったということ。

そして、第二に筆者が経営する会社の、ことロングステイ事業にかぎった売り上げ曲線、利益の曲線とも、まさに恐竜の尻尾、ロングテイル化しているからだ・・・。その他にも、2007年を境に大量退職は起こらない・・・など、理由はいくつかあるのだがここでは触れるスペースがないので省略する。

しかし、だからといって、このマーケットに全く可能性がないかというとそうではない。

「今後かなりの長期にわたって、マーケットはロングテイル化していくので、志をもって続けることのできる業者ならば、ロングステイ事業は、息の長い事業のひとつにはなりうると考えています。」と講演の最後に付け加えた。

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※写真はイメージです。

(2006年9月掲載)
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2008年09月22日

第34回「これがなきゃ生きていけない・・・――ロングステイに必要な食べ物は?――」

「仮にタイにロングステイすると仮定して、『これがなきゃ生きていけない・・・』という日本の食べ物はありますか?あると答えた方はコメントボードに『虎屋の羊羹(例)』などと具体的に記載してください。」

 筆者は、バーンタオ通信―癒しの大地・タイ王国に暮らす―と題して、タイでのロングステイに関心のある方向けに日刊のメールマガジンを発行している。(読者約2,000名)

先月上旬、約一週間、メールマガジン誌上で、冒頭に記載した内容のアンケート調査を行ってみた。

その結果はこのようになった。

 
ある。(110)68
ない。(41)25
どちらともいえない。(10)6

約7割の方が「ある」とお答えになった。食に関しては、やはり保守的だということだろう。コメント欄には、『これがなきゃ生きていけない・・・』という日本の食べ物として、以下のものが並んだ。
 
 

「日本米」「梅干」「お味噌」「お漬物」
 
 

これら、まさに「予想通り」のオーソドックスなものから、「赤味のマグロがなくては生きていけない・・・」と言う方もおられた。
 
 

また、日清食品のカップヌードルカレー味という面白い意見もあった・・・そして、食べ物とくくれるかどうかはわからないが、日本茶を楽しむための「美味しい水」というものもあった。
 
 

しかしこうしてみてみると、ここに挙げたどれもが、今ではほとんどまったく問題なくバンコクでも手に入るようになった。筆者が初来タイした20年前には、ビザの書き換えを兼ねてペナンやシンガポールに日本食の買出しをしていた。そのことを考えると隔世の感がある。
 
 

こうした状況は、ロングステイをする人たちにとって食の面でのバリアは非常に低くなったともいえるけれども、このアンケートを実施して依然として上述のような答えが返ってくるということは、タイの日本食事情が、日本にいる方にはまだあまり知られていないということでもあるのだなと思った。

ちなみに、タイ人にとって「これがなきゃ生きていけない」というものはなんだろうか?
 
 

やはりソムタムだろうか?確かにタイ人を見ているとそんな気がする。筆者も出張などで日本に長く行きタイにもどってくると、無性に食べたくなるタイ料理はやはりソムタムだ。筆者のタイ化も相当進んだものだ。  以下の記事を少し参考にしました。●青パパイアの「国民サラダ」 ソムタム(タイ)20060425

http://www.asahi.com/international/weekly-asia/TKY200604250142.html 


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(2006年6月掲載)
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2008年08月31日

第28回「快食・快眠・快便、そして社会の健康のレベルも・・・」

「ロングステイという言葉がこれからも依然として、『シニアが、日本の社会制度不安から避難するテクニック』として焦点が当てられ、世間で使われ続けるならば、それはもう、私が目指す事業をあらわす言葉ではありません・・・」

 去る3月1日、インペリアル・クイーンズパークホテルの宴会場で行われた、タイ国政府観光庁主催の「ロングステイ事情視察研修」初日のセミナーに参加した。東京、大阪、福岡から、メディア、旅行、ロングステイ関係者、約30来タイし、彼らの前で約10分間のスピーチを行ったのだが、時間がわずかなので、云いたいことは言い尽くせないだろうと思い、予め配布資料として用意していた文書の中に、冒頭の文言を入れておいたのだ。とうとう云ってしまった・・・。

実は先週来、富山県のNPOマイジョブクリエイションズ主催の約一週間にわたる就業支援プログラムで若者たち二人(一人は26歳で、所謂ニート、もう一人は30歳代前半の介護福祉士。)に同行してきた。http://www.toyamav.net/~myjob/

筆者が親しくお付き合いをさせていただいているタイ国内の各種施設にお願いし、視察をしたり体験をさせてもらった。(ムエタイジム、クロントイスラムのボランティア団体、バンコク郊外の有機農法農場、マッサージスクール、チェンマイのHIV感染孤児生活の場・・・)

事前に日本で、キャリアカウンセラーでもあるマイジョブクリエイションズ代表の盛田さんが、若者達二人にカウンセリングをした後協議し、視察内容・体験内容を決めたのだが、今回、彼らと同行したことで、結局これらを選択したことが、今の筆者自身の関心の対象であることがはっきりした。盛田さんと同行し、プログラムの合間合間に企画の意図の再確認や、今後の事を話すことが、私自身のカウンセリングになっていたのだ。

自分の事業の方向性、やりたいことが今回の旅で明確になった。

読者の中には、若者の就業支援とシニアのロングステイは全く関係ないじゃないかという方もおられるだろう。しかし、筆者のなかでは、その関係性はより明確になったのだ。

今、メディアで一般に言われるロングステイという言葉には、日本の年金、医療保険などの社会制度不安から避難する方法論としてのニュアンスが強いと思う。

しかし、避難することだけを考えていると、日本の社会はどうなるのだろう。「幼老共生」という言葉がある。「子どもと、高齢者と、障害者が幸福そうな顔をしている社会が、本当に豊かな社会なんですよ・・・」と、尊敬する先輩から教えられた。

やはり、特定の世代(または階層)の人だけが突出して幸福感を得られる社会になってはいけないと思うし、それは継続しえないと思う。

人間の健康のレベルも、例えば快食・快眠・快便の3要素があるとすれば、そのどれかが突出して良くなったり悪くなったりすることは、まずありえない。それぞれの要素が関連しあって、全体としての健康のレベルが高まったり低くなったりする。

社会の健康のレベルもそれと同じことだ。

冒頭のセミナーには日本のロングステイ財団の理事も参加していた。「ロングステイという言葉がこれからも依然として・・・」と発言し、どのようなことになるかと思っていた。

が、しかしセミナー後の懇親会では、この理事も含め、多くのメディア関係者が筆者の発言に注目してくれ、深夜まで語り合った。

そして、筆者も更に確信を深めた。

「『癒しの大地・タイ王国に暮らす』をキーワードにして、若い世代のための就業支援プログラムの実施や、障害をお持ちの方のリハビリのための滞在のお世話、などを通じ、それぞれの世代が幸せな関係性をもちながら暮らせる社会作りのお手伝いをしていきたいと思う。」

すでに3月になってしまったが、今年の決意表明としよう。

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(谷田貝より)

(2006年3月掲載)
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2008年06月08日

第15回「そして、私たちの世代はそれを日本に持ち帰る必要がある・・・ ーメルマガ読者対象講演会&懇親会その2」

「谷田貝さま 3日にわたる講演会、お疲れ様でした。昨日は、とても有意義な時間を過ごさせていただき、感謝いたしております。とても大きな気づきを与えていただきました。これまで私は、タイから何かをもらうことタイから享受できるものについてしか、考えていなかったようです。自分がタイで、何ができるのか?もっといえば、自分がタイに何を与えられるのか?という視点を、すっかり失っておりました。そのことに気づかせていただきました。そして、私たちの世代は、タイとタイの人々に何かを与え、与えられる関係を作れたら、それを日本に持ち帰る必要がある。そう強く感じました。」

  去る7月24日(日)午前、大阪市中央区の大阪産業創造館で、私の発行しているメールマガジン読者を対象にした講演会を開催した。今回も引き続きその時の参加者のお便りを紹介する。右記は、大阪で教育関連のお仕事をされる30代の女性Tさんからのお便りだ。
 前回の当欄では、「日本の老人をひきつけない日本社会」という視点から日本の社会の空洞化を懸念する女子大生のお便りを紹介し、「タイでの生活体験で得た気づきを日本の社会へ持ち帰ってもらいたい、還元してもらいたい」ということを書いたが、Tさんのお便りにもそのことについての気づきが指摘されている。
「そして、私たちの世代は、・・・それを日本に持ち帰る必要がある。」
その通りだと思う。

1.与えること 
2.与えられること 
3.その体験を持ち帰ること・・・・
この循環の仕組み、関係性の中から、人は幸福感、豊かさが得られるのだろう。
「21世紀は心の時代といわれて久しいですが、その『心』をいかに豊かにできるか?いろんな場所で、いろんな取り組みが、これからもなされていくと思います。そんな大きなうねりの中に、自分自身もいるのだということ。自分らしさを保ちつつ、大きなうねりに乗りつつ、さらなる自分を模索していきたい。と、贅沢なことを考えておりました。」
筆者がいつも肝に銘じている言葉に「知っているかどうかではない。問題は、実践しているかどうかである。」というものがある。
今回の一連の講演会を終え、「あとは行動を起こすことだ。」と思いながら、タイへの帰国の途についた。

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(会場風景・イメージ)
(2005年8月掲載) 
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第14回「日本の老人をひきつけない日本社会とは?ーメルマガ読者対象講演会&懇親会」

「こんにちは。先日は楽しい場を提供してくださり、ありがとうございました。懇親会では、いろんな考え方の方と触れ合うことができて楽しかったです。講演会もとても興味深かったです。(中略)(大学の)レポートを書いていて、戸田さんと同じく私自身も『日本の老人をひきつけない日本社会』という視点が出てきてしまっていて、うーん・・・考えものです。けれど、実際にロングステイに行かれる方はそういった考えはお持ちでないのかもしれませんね・・・(後略)」
 去る7月24日(日)午前、大阪市中央区の大阪産業創造館で、私の発行しているメールマガジン読者を対象にした講演会を開催した。今回の講演会でも東京同様、講師として私の年上の友人でブレインでもある、ルポライターの戸田智弘さんをお招きした。http://www.geocities.jp/toto2000bbc/   
上記は、京都の大学でロングステイをテーマに研究活動をする女性Tさんからのお便りだ。Tさんは8月から半年間の予定でチェンマイ大学にプチ留学の予定。この日の講演会参加人数は24名。シニアのロングステイ希望者ばかりでなく幅広い分野、年齢層から意識の高い人々が集まった。
それにしても「日本の老人をひきつけない日本社会」とはショッキングな言葉だ。だが、今回のセミナーではそれをキーワードに敢えてこちらから問題提起をしてみた。このキーワードから、もう一度「幸せな海外生活」のあり方を考えてみようという視点だ。
定年を迎えた方々が、年金不安などのある日本社会から脱出したいという心情も理解できる。だが、そのあと、ニートなど、就業することが困難な若者を多く抱える日本の社会を、そのまま現役世代に託して海外にでて行ってしまうだけでよいのだろうか?「俺たちは日本には愛想を尽かしたので後は頼んだよ」といわんばかりに・・・・。
5年前、筆者が起業の際作ったパンフレットに「日本の社会の暗い部分に、アジアの知恵という灯火で光を当てる・・・」という意味の一文を載せた。タイでの自然体験、文化体験、交流体験、生活体験で得た気づきを日本の社会へ持ち帰ってもらいたい、還元してもらいたいという理念だ。
筆者は、かねがねそこまで視野に入れて事業展開しなくてはいけないと思ってきたがどのようにするべきかは試行錯誤だった。そろそろ考えも集約されてきた。今回の講演会の際も、講師の戸田さんと協働で、ニートの就業支援にも関わりたいというお話をしたが、その事業をタイだけで完結せず、日本の社会との人の循環の仕組み、関係性という視点で捉え実践したいと考えているところだ。結局、人の幸福感、豊かさとは関係性に基づくと考えるからだ・・・(次回に続く・・・)

戸田智弘さん

★今はベストセラー作家になった戸田智弘さん。

(2005年8月掲載)


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2008年03月30日

第11回「幸せな海外生活とは?ーメルマガ読者対象講演会&懇親会」

「先日はありがとうございました。久しぶりにお目にかかれて楽しかったです。谷田貝さんがおっしゃっていた通り。高い参加費を払ってでも来るという意識の高い人が多かったですね。多くの方とお話していて、勉強になりましたし、これからのラシンにも生かしていきたいです。」
去る6月18日(土)の午後、東京・南青山で、私の発行しているメールマガジン読者を対象にした講演会兼懇親会を開催した。右記は、友人で、シニア向け旅行雑誌「ラシン」編集長・N女史から頂戴したお便りだ。

人数は20名限定と、少なめに設定したが、全国紙外報部の記者、旅行雑誌編集者、大学の研究者、ロングステイ関連NPO役員、大手金融機関のエリートサラリーマンなど、N編集長も言うとおり、幅広い分野から意識の高い人々が集まった。
今回の講演会は、講師として私の年上の友人でブレインでもある、硬派ルポライター戸田智弘さんをお招きした。http://www.geocities.jp/toto2000bbc/   

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演題は「海外暮らし、スローライフ、NPO」だが、小テーマは、戸田さんが海外取材で感じたことから、介護の国際化は進むのか?といったタイムリーな話題 、GDPと幸福感の関係などといったかなり高次の内容まで広範に渡った。だが、約1時間の講演並びに質疑応答の内容は、総じて「幸せな海外生活とは?」というテーマに集約していった。
戸田さんはロングステイという言葉が流行る前からシニアの海外暮らしに着目し、数々の著作を発表してこられた。『老後をアジア・リゾートで暮らす』(双葉社刊)などhttp://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/457528839X/baantaolongst-22 )最近でこそ数々のロングステイ関連本が出版されていまる。しかし、いまだに丹念な海外取材に裏づけされた戸田さんの著書が一番内容的に優れ、的を得ていると思っている。
昨今は、インターンシップやニートの問題、そしてNPO活動についても関心を寄せており、筆者もこれらの分野において協働することが出来るのではないかと相談を重ねてきた。講演では単なるロングステイの実際上の生活情報は省き、この部分での可能性についても踏み込んだ発言をしてもらえた。
また、今回の講演会・懇親会の会場はナチュラルフードプロデューサー花田美奈子さんが経営する自然食レストラン「ハナダ・ロッソ」をお借りして行った。http://www.hanada-rosso.net/index.html 
ここは筆者が参加している発芽玄米勉強会の会場でもある。講演の後、こちらのお料理を楽しみながら皆さんとの交流の時間を設けた。
「レストランのチョイスは谷田貝さんらしくて、カラダにいい日が送れました。いずれハナダロッソを取材しようと思います。会はテーマが盛りだくさんでしたね。タイと一口に言っても、切り口が多いことがわかりました。最初に自己紹介があったのはよかったです。できれば参加者との交流の時間がもっとあるとよかったかもしれません。やはり質疑応答の時間は白熱していましたし・・・」とは、N編集長の感想だ。
講演会後、講師の戸田さんと意見交換をしたところ、確かにテーマが広範に渡った為、「あまり深く踏み込めなかったかもしれないね」という反省点もでた。次回からは、テーマを更に絞って行うことを検討している。そうすれば、参加される方も同じバーンタオ通信読者とは言え、テーマ別にグループ化でき、より濃密な議論ができるのかなあと思った次第だ。次回は近日中に、名古屋、大阪などでも開催したいと考えている。   

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2004年02月10日

第12回「ミャンマー日帰り紀行」

「ミャンマーに行ってきました。しかも日帰りで・・・」

このように云うと、日本から来たばかりの方は必ず驚いてくれる。だが、チェンマイから車で約3時間半。ミャンマー国境の街・メーサイまでは、一日のドライブとしてはじつに丁度良い距離なのだ。

2月上旬のある日、タイ最北の街メーサイを訪れた。ここは陸路で国境を越えられる数少ないポイントのひとつだ。昨今はチェンマイにロングステイをしようとするシニアの方が増えている。ビザなしでタイに入国し、チェンマイでの30日間の滞在を終え、更に延長したい場合、一番簡単にできる方法がこのタイ最北部メーサイでミャンマーとの国境を越えることだ。

小生は、ロングステイを始めるにあたっては、まず1,2ヶ月体験的に滞在してみることをお勧めしている。前回メーサイを訪れてからすでに5〜6年経っている。大分様子が変わったとのことなので、視察を兼ねて出かけることにしたのだ。

09:00 チェンマイ出発。チェンマイからチェンライ、そしてメーサイへ到る道はとても美しい。日本の紅葉とは比べるべくもないが、それでもこの季節、山の木々にはすこし黄色に色づく葉もあり、変化が楽しめる。

また、農家の庭先や街路樹には熱帯特有の花が咲き誇っている。チェンライを過ぎて、メーサイに近づくと、街道沿いに水墨画風の山々が野焼きの煙に霞みながらも姿をあらわす。その裾野には煙草畑やイチゴ畑が広がる。

学生時代、おんぼろバスに揺られながらこの道を通る度に、勝手に「ストロベリーロード」と名付け、広い緑の絨毯のような畑に、赤いイチゴが点々と見え隠れする様を眺めるのを楽しみにしていたものだ。

今回訪れたのも丁度イチゴの収穫の時期。街道沿いにはイチゴ、イチゴで造ったワインなどを販売する屋台がずらっと並んでいた。その屋台が並ぶ区間はまるで赤い幕を張り巡らしたようだ。

午後1時、メーサイ到着。街の入り口にあるイミグレーションオフィスで出国スタンプを押してもらう。更に車で1キロほど走ったところが国境の橋。この橋を歩いて渡りミャンマー側のイミグレーションへ。橋の間には小川のような小さな流れが・・・。

これが、国と国とを隔てる国境だ。何の感慨も無く通りすぎる。ミャンマー側のイミグレーションで一時入国の為の手続をする。とはいってもB250とパスポートを引換えに、ペラペラの引換証を貰うだけ。呆気ない。

更に歩いて橋を渡りきるとそこはミャンマー側の街タチレク。早速煙草やら何やらの売り子がまとわりついてくる。

午後1時30分。タチレクの市場は5〜6年前に来た時と全く変わっていないので、ものの10分程市場を見物してまたタイ側に戻る。戻る際のルートはミャンマー側イミグレーションでパスポートを返してもらい、橋の端にあるタイ側のイミグレーションで通常の入国審査をするだけだ。

こうして、僅か1時間足らずのミャンマー紀行は終わった。

(2004年2月掲載)

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2004年01月13日

第10回「熟年世代こそは子供のように無邪気な夢を・・・。タイ南部紀行」

 「今年も残り10日余りとなりました。皆様方も、あわただしい日々を送られていることでしょうか。 私たちは 6日間、バンコクでロングステイを楽しむ熟年世代の方々総勢 7名でタイ南部の旅を楽しんでまいりました・・・」

Aさん(58)。30年余り勤続した会社を定年前に退社、「第二の人生」の舞台をタイに求め1998年に移住した。年の瀬のある日、Aさんが主宰する「アジアを学ぶ」インターネット私塾の通信欄で冒頭のメールが送られてきた。

旅のメンバーはAさんご夫妻、昨年4月から数年の予定でバンコクに暮し始めた東京からお越しのYさんご夫妻、福岡からお越しのTさんご夫妻など。Tさんは完全なリタイアは未だだが、2年前の大手旅行社の体験ツアーで来タイ後、年に数回約一ヶ月の滞在を楽しんでいる。

今回はバンタイプの車をチャーターしバンコクを出発。ルートはチュンポン、スラタニ―、ナコンシータマラート、ソンクラ―、ハジャイ、クラビ、パンガーなど。人口の90%がイスラム教徒の街・ヤラー、新興リゾート・カオラック、国境と温泉の街・ラノーンなども訪れた。南部タイの主要都市、ポイントを走破するコースだ。

新鮮な海鮮料理を満喫したり、南部タイの伝統芸能、ナン=影絵を鑑賞したりする楽しみはもちろんだが、仏教国として知られるタイで、国境を越えずにイスラム文化圏を体験した事には、皆さんとても鮮烈な印象を受けたようだ。

Aさんが、このような旅を企画するようになったきっかけは何だったのだろうか?
Aさんによると、シニア世代がリタイアしてタイで生活する秘訣は志を持つことだと強調する。タイ国中をくまなく旅してこの国を多面的に理解しようと言う事が、Aさん自身の志のひとつだった。

事実、今回ヤラー県を訪れたことでタイ全76県中74県を踏破したことになるそうだ。だがこうした旅も、当初はあくまでAさんにとっては個人的な志であったのだ。「タイ南部の旅はプ一ケット、サムイ、クラビ一といったリゾ一ト地には飛行機で簡単に行ける。つまりバンコクからは点の旅になります。今回のような南部を一周する線の旅は、ツア一で行くことは不可能です。ツア一が成立しない。なぜなら観光地そのものが少ないのです。 」

確かに在タイの日系旅行社も採算ベースに乗り難いのでそのようなツアーはあまり企画しない。従ってタイ南部などの地方を個人で行くこと、特に経験のない熟年世代にとっては非常に難しい。

昨今、ロングステイをする人達が徐々に増えてきた。タイをくまなく旅した自分自身の経験を活かしてこのような仲間達にタイの歴史文化を知ってもらいたいと考えるようになったのだ。 

「今回の旅のような形で熟年世代の方々をご案内できれば、そして旅の楽しさを味わっていただけたなら、私も少しは皆さまのお役に立てたかもしれません。」個人的な志が次の段階に進んだようだ。

次回の計画は1月末。「母なる大河メコンを旅する・2004」と銘打った5泊 6日のイサ一ンの旅。カオコ一からル一イを経て、メコン川をラオスに沿ってチョ一ン・メックまで下るコース。参加の条件は「ロングステイを楽しむ熟年世代の方で、食べ物に偏食のないことくらいです。」だそうだ。

(2004年1月掲載)

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2003年12月28日

第9回「還暦カメラマンとの想い出。」

「バンコクに住んでいらっしゃるというお話は風の便りで聞いていたのですが、バクダッドですか?いいお仕事をされているんですね。S・Hさんですからきっとバクダッドの真実の報道をしてくださるのでしょう・・・。」

先日、小生が配信しているメールマガジンでバンコク在住、還暦の現役戦場
カメラマン、S・Hさんのことを掲載した。S・Hさんはバグダット陥落時も現地で
取材をしていた。その模様をまとめた本が1月出版される事を紹介したのだ。

しばらくして、メールマガジンの購読者であり、現在東京で旅行専門学校の講師をされているN・Hさんから冒頭のメールを頂戴した。

約20年前、N・HさんがS百貨店の旅行事業部で旅行の仕事をしていた時、解放直後のカンボジアをS・Hさんと一緒に旅したのだそうだ。メールからはその当時の模様が感じ取れ興味深い。一部抜粋してみよう。

「もう、20年近く前のことですが、ポルポトがカンボジアを恐怖政治の国にして、そしてその時代が終わり平和な時代が訪れつつあった時、S・Hさんの方から将来のアンコールワット展の構想があり、(百貨店の)Sオーナーの了承の下で、代表室長、S・Hさん、かつてカンボジア駐在をしたこともある当時A新聞の論説委員の方そして私とで、外国人が1人もいないカンボジアへ視察をしに行ったのです。」

首都のプノンペンからアンコール地域までほんの150キロ程度だが、航空機もなく、ジープで穴だらけの道路を丸2日かけてシェムリアップに行ったのだそうだ。

「アンコール遺跡はひっそりとジャングルの中にたたずんでいました。ツアーに出来ると確信しました。13年間の空白の後の初めてのツアーを世界で初めてやれると思いました。」

その後、プノンペンに帰り政府側と結ぶ独占ツアー契約書をまとめた。そしてある夜、S・Hさんと一緒に、1本のウイスキーを持って、当時は若き外務大臣、現在は首相を務めるフンセン氏の家を訪ね、無事、契約書を取り交わすことが出来たのだそうだ。
「こんなわけで、S・Hさんとは、ある意味で戦友みたいな間柄でした。」とN・Hさんは云う。

今ではN・Hさんも60歳に近づき、引退した後の過ごし方を模索中とのことだ。

「私もそろそろ60に近付いてきましたし、今の専門学校での旅行ビジネスの教師をリタイヤーした後は、どこかの国で現地ガイドのトレーニングをボランティアでやりたいと思っています。アジアであれば、ミャンマーとか、スリランカなどのまだ現地の方がガイドの能力が不足している地域、あるいは、ポルトガルのような自分も楽しみながら、ボランティアできる国か今徐々に考えているところです。」

メ−ルマガジンがきっかけでお互いの消息が判った二人。20数年前に出会った、カメラマンと旅行マン。カンボジアで出会い、その後全く違う分野で活躍してきた二人が、やはり今、同時に仕事人生の集大成を迎えようとしている。

S・Hさんは20031219日、バグダッドへ再び旅立った。取材計画には自衛隊の派遣予定地への取材も含まれているようだ。無事を祈らずにはいられない・・・。

(2003年12月掲載)

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2003年12月07日

第8回「ロングステイと県人会について・・・。」

「青い空、青い海さえあれば暮せますか?」

バンコクや日本で行うロングステイセミナーやオリエンテーションの際、参加されるお客様にこのように問い掛けることにしている。

日本人ロングステイヤーが海外で暮らすために必要な条件とはなんだろう?
一般には治安、気候、物価の条件などは当然として、日本食材の供給や、新聞・テレビなどの日本の情報などが挙げられる。ゴルフや釣り、手工芸などの趣味や、ボランティア活動などの生き甲斐をもつ事も重要な事だ。幾ら自然環境が良くても「青い空、青い海」だけでは生きていけないのは明らかだろう。
小生はもっとも大切な要件のひとつに、多様で健全な日本人コミュニティーの存在があると考えている。
125日は国王誕生日。この日、チャオプラヤ河のディナークルーズを貸りきって第12回タイ国福岡県人会総会行われた。小生は福岡県人ではないのだが、参加条件のひとつ「福岡県を愛する者」のひとりとして、幹事さんのご厚意で参加させていただいた。
参加人数は家族連れを中心に約150名。船の定員も150名なので満員御礼だ。プログラムは盛りだくさん。懇親食事会、子供向けイベント(綿菓子、バルーンアート、ネイル&フェイスペイントなど)、豪華景品多数の大抽選会などなど。
九州の某テレビ局から派遣されたバンコク支局長の名調子で会は進行した。彼はプロのアナウンサーである。
ビュッフェスタイルの食事を楽しみながらライトアップされた暁の寺やエメラルド寺院などを鑑賞しつつ船は王宮・エメラルド寺院のあたりまで進む。
しばし停泊して国王の誕生日を祝い盛大に打ち上げられる花火を鑑賞した。宴も盛り上がる毎にお国言葉も飛び交い、とても和やかな良い会となった。
バンコクには、福岡県人会以外にもたくさんの県人会や学校の同窓会が活動している。特に年末年始はこれらの団体が、それぞれ忘年会、クリスマス会、新年会を催すことになる。現状では参加されている方の殆どは駐在員の方とその家族だが、今後シニアの方々がタイでロングステイを始めるとき、是非積極的に参加してもらいたいし、受け入れていただきたいものだ。
ロングステイはその国の人達と触れあい、その国の文化を学ぶことが目的であるだろうという意見もある。また、とかく日本人は海外で群れたがるという批判もあるかもしれない。だが、そう肩肘張らず、時にはお国言葉で同じ文化圏で育ったもの同士、共通の話題を共通の方言で盛り上がるのも心の癒しになるものだ。

今回福岡県人会総会に参加させてもらい、出身地や出身校で結びつくことのできるこのようなコミュニティーが多数存在することが、滞在するものにとっては頼りになり、心を寄せる場になるに違いないと改めて思いを致した次第だ。日本人会のような大組織では得られないことなのかもしれない。

(2003年12月掲載)
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(写真はイメージです)
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2003年11月23日

第7回「タイ商工会議所の会議に出席しました。・・・。」

今月中旬、ロングステイ関連の会合に立て続けに参加した。まずひとつめは1113日、タイ商工会議所。その中の観光部会の昼食会兼会議に出席した。

商工会議所のビルは、王宮前広場近くの古い街並みの中にある。こじんまりとした構えだが、タイの財界人が集まるだけあって流石に内装は豪華だ。

会議の参加者はタイの旅行業界、ホテル業界の重鎮、或いはタイ各地の商工会議所の会頭など錚々たる顔ぶれ。意見を言いに来いというからノコノコ顔を出したけれどもこんなにもかしこまった会議とは知らなかった・・・。

食事も飲茶から始まって、中華料理のコースが取り分けられて、各自の席までサービスしてくれる。至れり尽くせりだが何か居心地が悪い。肩が凝る。

さて、肝心の会議の方は・・・。やはりいつものロングステイの定義論、または、未だにブレイクしない理由探しに終始する。

しかも意見と云えというので自分の考えを述べると、「いやそれはそうではなく・・・」などと遮られ、違う方向に話が逸れていく。タイの肩書きの大きな方は人の話を聞くのが苦手のようだ。

何はともあれ、良い社会勉強にはなった。

次は1118日、日本の中小企業経営者団体の視察団からロングステイについてのスピーチを頼まれたので出かけた。建設業、製造業、経営コンサルタント、小売業など様々な業種の経営者が集まった団体だ。
こちらも気楽な会だと聞いていたのに、タイの上院
議員のP女史なども参加されておりおどろいた。
他に上院議員の顧問などタイ人のお偉方も数名出席
している。
気楽に参加して欲しいという最初の話と違うなあと
戸惑いながらもスピーチを始めた。
最初は15分くらいで切り上げて帰ろうと思って
いたけれども、つい興に乗ってしまい、気づくと
1時間以上喋っていた。
いつものロングステイ希望者ではなく、こちらは
投資希望者の団体だ。
質問の切り口も違い鋭い。少々勝手が違うが、経営者
らしい発想の質問に答えて行くうちに、何やらこちら
も血が躍るような感じを覚えた。
小生の持論は、投資に前向きになっている彼らの耳
には必ずしも心地よいものではなかったろうと思う。
だが、最後はありがたいことに「感動した。」
「頑張れ!!」との声援を頂戴した。
前者はタイ人中心の、後者は日本人中心のいずれも企業経営者としてロングステイに関心も持っているグループの会議だった。それぞれにスタンスの違いが感じられ興味深かった。

いずれにしても、根気強く、これらの会合に足を運んで自説を説くことも、小生の使命のひとつなのかもしれないと改めて思いをいたした次第だ。(2003年11月掲載)

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2003年11月22日

第6回「橋を渡ると、そこはもうカンボジア・・・。」

118日、タイはロイカトーン=燈篭流しの日、カンボジアへ行ってきた。

と云っても日帰りなのだが・・・。

 

ビザなしでタイに入国し30日間の滞在を終え、更に延長したい場合、一番簡単にできる方法がこのタイ東北部、カンボジアとの国境を越えることだ。

小生は、ロングステイのセミナーやオリエンテーションなどで、まずは1,2ヶ月のお試しで体験をしてみましょうとお勧めしている。そのような滞在の方がビザなしで入国した場合の滞在期間の延長の方法として、カンボジア日帰りの旅に可能性があるのではないかと思い、まずは自分で体験してみようと出かけて来た次第だ。

 

7時半、バンコク市内をワゴン車で出発。途中のガソリンスタンドで休憩し、そのあたりから風景は典型的な東北タイのもの。遠くまで地平線が見渡せ、道の両側には田植えから間もない青々した水田や、刈り取り間近の黄金色の稲田が混在している。所々に生える大木の陰には、必ずと言ってよい程水牛がいて、昼寝をしている。

 

11時、国境の街アランヤプラテートを通過し、国境に隣接するマーケットに到着。ここから、“歩いて”、国境を渡る。まずはタイ側で出国手続をして建物を出ると、チョロチョロと水が流れる河にかかる橋がある。橋を渡ると、そこはもうカンボジア側の街ポイペット。呆気ないものだ。

 

タイで照っていた太陽も、カンボジアのそれも一緒で、ジリジリと肌を焦がす。別に日の光の色が変わるわけじゃない。実は小生、陸路で国境を跨ぐのは生まれて初めて。もっと感慨深いものを感じると思っていたのだが・・・。

 

カンボジア側のポイペットと云う街はカジノが何軒か建ち並び、たくさんのタイ人が遊びに来ていた。ただ、正直云えば、ギャンブルに興味のない人にとっては何もない街のようだ。カンボジア入国後、休憩場所のホテルに入り直ぐに昼食。しばし休憩の後ホテル出発。今度は逆にカンボジア側から橋を渡りタイの入国手続をする。まったく呆気なくスタンプは押してもらえる。

 

結論。

 

予算に余裕があり、時間的な制約がない(ロングステイしている方はお時間は充分あると思いますが、、、)方には、滞在延長の必要が生じた時にはどこか適当な近隣諸国への飛行機利用の小旅行をお勧めする。それこそがタイにロングステイしている間の楽しみでもあるからだ。

 

往復で約7時間という長時間車に乗って、肉体的にハードということもあるが、やはり日帰りで行って帰るだけでは旅情がない。

時間を自由に使えるシニア世代こそ、ゆったりとした時間をジックリ楽しむ旅をしてもらいたいものだ。

(2003年11月掲載)

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2003年10月20日

第4回 「ロングステイって何ですか?――6年越しの神学論争」

 

「ロングステイの定義とは何ですか?」

 

 先日の「ホームステイ」セミナーに引き続き、9月26日、タイ国観光スポーツ省主催のセミナーに参加した。今度のテーマは小生の本業である「ロングステイ」。

 

 ホームステイのセミナーはマヒドン大学が、そして今回は名門チュラロンコン大学が委託研究を担当したようだ。

 

 したがって、形式は前回のホームステイ・セミナーと同様、大学側が作成した草案をベースにして、関係者によるパネルディスカッションや、グループ討論が行われ、最終的な総括が行われた。

さて、その結果は…。

 正直いうと、残念ながら収穫は乏しかった。小生としては何か目新しい発見がないかと思い参加したのだが…。

 タイで「ロングステイ」という言葉が政府の政策の中に登場したのは1997年のバーツ危機以降のこと。既に6年程の年月が経つ。以来あちらこちらのセミナーや会合に参加したが、今回も冒頭の議論のような、今まで耳にした事ばかり聞かされた…。

 

 日本の経済産業省の元に活動する公益法人、(財)ロングステイ財団(ちなみに小生の事務所は財団のバンコク公認サロンに指定されている)ではロングステイを「移住でも永住でもない『海外滞在型余暇』のこと」と定義する。さらに、基本的な特徴として次の5点を挙げている。

 

 1:自由時間(余暇)の活用を目的とする――海外でより豊かな自由時間を過ごし、現地の人々との草の根交流などの余暇活動を行う。

 

 2:「旅」よりも「生活」をめざす滞在である――海外旅行が短期間の観光・ショッピングのような非日常的体験を目的とするのと異なり、ロングステイは海外における日常的生活の体験を目的とする。

 

 3:海外に「居住施設」を保有、または賃借する――短期旅行者向けの宿泊施設ではなく、多くの場合、生活に必要な施設(キッチンなど)が整っている宿泊施設や適切な「住まい」を保有または賃借する。

 

 4:生活資金の源泉は日本にある―――生活資金の源泉は日本国内にあり、現地での労働や収入を必要としない。

 

 5:比較的長期にわたる滞在である――「移住」「永住」ではなく、日本への帰国を前提とする「海外滞在」で、比較的長期にわたる滞在である。

 

 なるほど。しかし、これらもひとつの目安である。人それぞれのロングステイの目的・方法があって良いはずだ。

 

 「ロングステイの定義とは何ぞや?」

 

 このような議論はもう聞き飽きた。タイでは、実際にロングステイを始めている人が既に大勢いるわけだから、もっと実際に即した調査研究をしていただき、快適に滞在するための環境整備をしてもらいたいものだ。(谷田貝)

 (2003年10月掲載)


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2003年08月15日

第13回 「チェンマイで迎える終戦記念日。インパール作戦戦没者慰霊について。」

「今、こうしてチェンマイで年金をもらいながら安寧な暮らしを満喫できるのも、命をかけて異国の山河を渡った若者達の犠牲があったからなのよ。私達は、そのことを決して忘れてはいけないと思うの、、、。」

 

7月上旬、チェンマイ郊外バンカートの中学校敷地内にあるインパール作戦戦没者慰霊塔を訪れた。これはその時案内してくださったチェンマイで年金暮らしをされているご婦人の言葉だ。

 

小生が案内するロングステイ体験ツアーのチェンマイコースでも、ここには必ず立ち寄ることにしている。今まさに年金でロングステイをしようと検討している世代が、先の大戦を実感を持って考えることのできる最後の世代と思うからだ。

 

インパ一ル作戦は、昭和19年(1944年)の 3月15日に開始された。ビルマ北西部のジビュ山系の西麓を縫うチンドゥイン河を渡河。アラカン山脈を越えてインド領に入り、要衝インパ一ルを占領。一気に戦局を挽回するという構想だった。

 常識的には、無謀な作戦であった。当初は大本営も反対し、軍内部でも作戦の実施を危ぶむ声が多かった。 しかし、インパ一ル作戦は決行された。

他の戦域での状況が思わしくない。この作戦を実行し成功すればその効果は大きいとの判断だったのだろう、、、。

 

タイは戦時中、日本の同盟国であったため領内での戦闘は殆ど無かった。それ故、余り知られていないが、インパ一ル作戦から敗走してきた兵士の多くがタイ領内で力尽きている。未だに収集されていない遺骨は、数千とも云われている。

 

インパール作戦の主力は九州の編成部隊だった。そしてこの慰霊塔は、発掘された遺骨を祀るために、九州の高名な僧侶たちが中心になって設立した財団が建立したものだ。

 

数年がかりで、橋本龍太郎元首相の揮毫入りの立派な梵鐘、そしてそれを吊るす、壮大な鐘楼も完成した。勝手につかせてもらった。その音色は重厚で、北タイの大地に眠る英霊達に届けとばかりに響き渡る。

だが、、、。

 塔も、鐘楼も、梵鐘の音も立派だ。しかし、残念ながら管理が立派ではない。

慰霊塔を建立したまでは良いが、財団メンバーの高齢化のためか、手入れが行き届かず荒れ気味だ。戦闘ではなく、敗走中の飢えや病で異国の地で亡くなった英霊の無念を思うと切ないものがある。

 

今回も、体験ツアーの参加者全員で塔の周りを掃き清め、雑巾で磨き、花を手向け、お酒を供えた。そして順番にお線香をあげて慰霊塔を後にした。

 

今年も、間もなく終戦記念日を迎える。チェンマイにロングステイする年金生活者のご婦人方の有志がこの慰霊塔を訪れお参りするそうだ。志ある方はどうぞご一緒に、、、。

(2003年8月掲載)

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2003年07月16日

第12回 「ロングステイと温泉開発。今、チェンマイでは。」

先週末、盤谷日本人商工会議所観光広報産業部会主催のディスティネ―ション開発旅行に参加した。航空会社、ホテル、旅行会社、広告代理店など、旅行周辺産業に直接間接に関わる会社の代表者クラスが主要メンバーだ。

 

今回のテーマは北部タイでタイ政府観光庁(TAT)が開発、誘致を計画している温泉サイトおよび日本人のロングステイ関連施設の視察。バンコクからTATのスタッフが数人付き添い、チェンマイ現地の案内も総裁室付ダイレクター自ら行った。

 

初日の711日は、午前中、サンカンペン周辺の温泉関連施設見学。民間が開発した施設と、国が運営する施設をそれぞれ案内された。

 

昼食を挟み、午後はチェンマイ郊外のノーザンヘリテージ・スパ&リゾートを見学。数年前からロングステイ受け入れを謳い文句にしている宿泊施設。ゴルフ場も併設している。

 

小生も昨年視察に訪れており今回二度目。1年でどれくらい開発が進んだか、その状況を興味深く見学させてもらった。

 

その日の夕刻には、ホテル会議室でチェンマイ在住日本人の方、ロングステイ関連の業者の方、温泉など関連施設の責任者の方などとの懇談会を開催。

 

チェンマイでロングステイをする日本人の方々が、それぞれどのような思いでチェンマイに暮らされているのかなどのお話を拝聴する。最近は、急激に日本人が増えているため、外国人が安心して暮せるコンドミニアム、アパートなどの物件が足りなくなっているなどの問題点も発生しているようだ。

 

JICAのシニアボランティアとしてチェンマイ県庁で都市計画のアドバイザーをなさっているK先生とも再会する。K先生は都市計画の専門家の立場から、暮らしやすい都市を作るという観点で、チェンマイにおける日本人ロングステイにも注目しており、現在、在住日本人に詳細なアンケート調査を実施中。どのような調査結果がでるか楽しみだ。

 

2日目はランパン県のジェーソン国立公園内の温泉サイトへ。ランプンを通りランパン市内を経由して目的地に到る。チェンマイから約二時間半の行程。

 

国立公園近辺の山村風景は、日本の数十年まえはさもありなんという感じ。田植えをしたばかりの苗の緑が瑞々しい。到着後、スライドで概要の説明を受けた後、温泉施設を見学する。昨日行ったサンカンペーンのものより清潔感があってよい。自然も濃い。どちらかといえばこちらのほうが日本人好みか?チェンマイから遠いのが些か難だが、、、。

 

12日の視察旅行。温泉施設について正直いうと、既存のままでは日本人はちょっと満足できないだろう。日本人利用者を増やしたいのであれば、ファシリティーの改善が今後のテーマだ。だが、まさに自然の恵み。知恵を働かせれば、この資源も有効に利用することも出来るはずだ。色々と示唆に富む情報を得る有益な旅となった。

(2003年7月掲載)

 P7110012.JPG※すごい勢いの間欠泉です。

 
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2003年07月01日

第11回 「プーケット 再び」

久しぶりのプーケット。

先週末、12日と駆け足の視察だったが、約2年ぶりにこの島を訪れた。

空港からホテルに向かうリムジンの運転手さんの話では、今年のプーケットは雨が少なく良い天気が続いているとのこと。雨が少ないとはいえ雨季は雨季。麗しの島の緑は益々潤いを増して輝いている。

改めて気温の動きを確認してみると、日中は3435度前後まで上がるものの、日没後から急速に下がり始め、夜半から日の出にかけては2425度で安定する。

そして翌日、誇張でなく鳥の歌声で目が覚めた。樹木の多いホテルの敷地には野鳥も多い。

しばし、海から昇ってくる日の出を鑑賞しながら、部屋のテラスに遊びにくる鳥達にフルーツを振舞う。こんなにゆったりした朝を過ごすのは久しぶりだ。

この土地の精気を感じたひと時だ。

 

実はかつてプーケットがロングステイのディスティネ―ションの最適地ではないかと考え、毎週のように通いながら検討したことがあった。実際、日本のあるNPOと共催で体験ツアーも企画・実施した。

1回目は障害者対象にも関わらず数十人の参加があった。

今後シリーズ化していこうとした矢先、おり悪しく2001年の9.11テロに直面。それ以降企画そのものが尻すぼみになり、それと同時に小生の関心も遠のいてしまっていたのだ。

その日は島内の各施設の視察や、この島で仕事をする色々なかたとお会いして過ごした。

カタビーチで旅行代理店兼ダイブショップ・ブルーマリーンを営む日本人女性ヒロコさん。

「夢はバリアフリーと環境保護」と語る。上述の体験ツアーの際、お手伝いをしてくれたのが縁。(詳しくはこちらから⇒http://www.bluemarine.info

次に、パトンビーチの山側のナナイ地区のMさん。御主人と一緒に外国人用アパートを営む。数年前は未だ建設中だったので完成したのをみるのは今日が初めて。

敷地内には居心地の良さそうなサラ(あづまや)があり、庭には樹木が繁る。

 

今プーケットは、雨も少ないが、サーズの影響でツーリストも少ない。観光関連業界は頭の痛いところだ。気候も良く、宿泊費も安い。折角の好条件が揃っているというのに、、、。

だが、やはりロングステイの好適地のひとつではないか?

今回の滞在は思いがけず、改めてプーケットの自然の深さに触れたり、そこで活躍する方々とお会いして、再度プーケットをロングステイの有力な候補地と感じる良いきっかけとなった。

(2003年7月掲載)

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2003年06月01日

第9回 「ロングステイにタイ語は必要ですか?」

「私は英語はほとんどできないし、タイ語なんてもちろんできません。それでもタイで暮らすことはできますか?」


過去3年間ロングステイ体験ツアーを行なってきたが、そのオリエンテーションの際、必ずでる質問だ。ロングステイ希望者ならどなたも少なからず抱いている不安だろう。

もっともだと思う。
海外体験といえば精々あご足付のパックツアー。現地係員が到着時から出発までお世話する。現地の人とは接する機会もない。


だが、暮らしを体験するロングステイはそうはいかない。日々の生活のためにはこの国の人達と関わらなくてはいけない。

今まで外国人とコミュニケーションをとったことがないので怖い。好奇心より恐怖心が勝ってしまうのだ。ロングステイはしたいけど自分には無理だ、、、。果たしてそうだろうか?


こうした質問が出たときはこのように答えることにしている。
「タイ語が話せない?それは良かった。タイに来てやるべき事がひとつ見つかりましたね。」

言葉を話せなくて飢えた人は聞かないが、退屈で心が飢えることはある。


チェンマイ在住のMさん(60歳)。2000年の秋からチェンマイに移り住む。
メイドを2人と、御主人のリハビリテーションのために専属のマッサージ師を雇う。
このMさん、タイ語をほとんど話せない。使用人の3人も日本語は話さない。
しかし家事の細かなことから、リハビリ上の煩雑なことまで、実によく教育されている。
日本のお客様が来られた時の応対から、お茶の出し方まで、今時の若い日本女性にも出来ないような日本的な作法で、、、。


Mさんはこれを身振り手振りと、歯切れの良い関西弁でこなしている。


「言葉?そりゃ出来たに越したことはないけれど、タイの人達はこちらが言いたいことを一生懸命理解してくれようとするわ。それに言葉ができると悪口も耳に入って腹がたつこともあるでしょう?」

とMさんは飄々とおっしゃる。


でも、言葉ができることで、ロングステイ中の楽しみが広がることも事実。
体験ツアーの行程の中で、タイの子供達との交流の時間を設けている。
事前にタイ語で「これはなに?=ニーアライ?」という言葉だけお教えする。


例えば、こちらが電話を指差して「ニーアライ?」。

すると子供が「トラサップ」と答える。
「なるほど。電話はタイ語でトラサップなんだ。」。

今度はこちらが指差して「電話」という。すると子供がトラサップは日本語で「電話」だと理解する。
今日、ひとつの単語を覚えた。明日、またひとつ覚える。そしてタイの人達との交流が始まる。
そこに喜びを見出せるかどうか。それがロングステイを成功させる秘訣かもしれない。
(2003年6月掲載)

P4200011.JPG※オリエンテーションで力説。
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