2008年10月08日

第40回「一度、死線をくぐった彼らにとって・・・クーデター顛末記」

「さて・・・とうとう起きてしまいました。まさかと思っていましたが、やっぱり・・・という感じもします。既に日本のメディアは大騒ぎでしょうね。現時点で、あまり詳しい情報を持ち合わせていないのですが、ある意味で、タイらしい問題解決の仕方を選択したと云えるかも知れません。(中略)日本の皆さんは冷静に状況判断し、必要以上に怖がらないでくださいね。私も出来るだけ事実に即した街の状況は毎日お知らせしていきます・・・(後略)」

 これは、筆者が発行する日刊メールマガジン920日号の冒頭部分より抜粋したものだ。このバンコク週報の原稿を執筆している10月10日現在では、すでにプミポン国王はスラユット内閣の閣僚名簿を承認、タイ暫定内閣は発足し、戒厳令下の雰囲気、軍事クーデター色は急速に収束しつつある。

 しかし、やはり今回の件は諸外国、そして特に日本の一般市民からは理解されにくいものだったようだ・・・。

実は筆者は、学生時代タイの政治を勉強していた。そういう意味では、目の前でドラスティックに展開される状況は活きた教科書だった。1988の年の来タイ以来、クーデターはこれで2回目。恐怖感はなかった。しかし、別の意味で悪い予感はあった。

 「これでまた、お客様のキャンセルが多発するのかな?」という・・・。不幸にも予感は当たった。実際に、新規の予約は軒並み減り、来年1月に予定されていた大規模なロングステイ体験ツアーも早速キャンセルになってしまった。

やはり、日本におけるテレビなどの報道で、戦車を見せ付けられる一般の人に、タイの政治の独特な事情を理解してもらうのはとても難しいことなのだ・・・。

今回、筆者が発行するメールマガジン読者を対象に下記のアンケート調査を実施してみた。

 
タイでのクーデター発生前から、今後6ヶ月以内のタイへの旅行・ロングステイを計画していたとして、貴方ならどのような行動をとりますか?(後略)
予定通り実施する。(71)60
中止する。(13)11
予約は控え様子を見る。(33)28
その他              (1)1
 予定通り実施すると答えた方が60%で多いじゃないかと思われるかもしれない。だが、一般よりも、タイへの理解・関心の高いと思われる読者でさえ、中止する、もしくは予約は控え様子を見る、と答えた人が計約40%だったということは、筆者にとっては驚きだった。これでは、この時期にこれだけのキャンセルが続発するのも、さもありなんという感じがした。

だが一方、今回の事態にまったく動じない人たちもいる。

「日本の新聞やマスコミも大きく取り上げていま〜す。(中略)ダイブ静かなクーデターらしいですね。私から見れば軍が国会などを制圧するなど身の毛もよだつ恐怖ですが、タイ国民は穏やかなんですね。まあ、この辺の事情は、渡航時にお聞かせ下さいね。」

実は、筆者の会社が主催で、11月から12月にかけて、障害をお持ちの方を対象にしたバリアフリーツアーを数本予定しているのだが、今のところ一人もキャンセルにならない。

これは、ツアーに参加予定の栃木県に住むSさんからのメールでのコメントなのだが、なんとまあ、呑気なものだ。

彼も26歳のオートバイ事故で頚椎を損傷。その後遺障害で胸から下が全く動かない。

今回のツアーには他にも、難病で視覚を失った方、脳性まひの方なども参加される。

一度、死線をくぐった彼らにとって、今回のクーデターくらいは、冷静になって考えれば何でもないことなのだろう・・・。

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(栃木のSさんとバンコク地下鉄乗車体験)

(2006年10月掲載)  
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2008年09月22日

第35回「学生に混じり、Sさんの講義を・・・−国際医療福祉大学訪問記」

「(前略)私の方は、これまで以上に得意分野の研究や発表を続けて、研究者としての実績を積み上げます。同時に、自分(自身)の営業を行い、講演回数を増やします。この経験を、自分の係わる幾つかのNPOやサークルで生かす事により、実践者としても活動します。

最終的には執筆し、ベストセラーにでも持ち込めれば・・・(笑)。」

 7月の上旬、約1週間日本出張へでかけた。滞在中のある日、栃木県大田原市にある国際医療福祉大学に、友人のSさんを訪ねた。http://www.iuhw.ac.jp/



Sさんは、筆者と同じ42歳。いまから十数年前にオートバイ事故で頚椎を損傷。それ以来車椅子での生活を余儀なくされている。



昨年二回タイを訪れ、最初はみずから理事を務めるNPO主催のバリアフリーツアー、その次は一人旅だった。それらの旅のお世話をさせていただいているうちに友人としてのお付き合いが始まった。



今回は、この大学の福祉援助工学概論と言う講座でSさんが特別講義をするということを聞き、視察も兼ねて訪問することにしたのだ。



東北新幹線を那須塩原駅で下車し、「大田原市営バス:国際医療福祉大学行き」に乗り継ぎ約40分。大学構内の停留所に着くと、昨年のバリアフリーツアーにボランティアスタッフとして参加した当大学4年生のS嬢と、やはりバリアフリーツアーに参加された、脳性麻痺で大学内の療護院で生活するKさんが車椅子に乗って出迎えてくれた。



早速S嬢がSさんの待つ大きな講義室に案内してくれた。既に講義が始まり、学生たちが200人くらい講義を受けていた。さっそく彼らの中に混じり講義を拝聴した。

Sさんは、当然ながら障害者の視点で語るので、われわれには気付かないことや新たな発見がいくつも得られた。



講義の後、Sさん、S嬢、そして大学で福祉論を研究する助手の方々と、大きな窓から那須連山を見渡せる、大学内とは思えない立派なレストランで食事をしながら意見交換。食後は、Sさん自ら学内を案内してくださった。



敷地内には大学棟の他、Sさんも生活をする療護施設や、リハビリ施設、病院が併設されている。今後は特別養護老人ホームも建設されるそうで建築中だった。



それにしても、その全体的な規模の大きさには驚かされた。しかもその大きさにもかかわらずコンパクトにいろいろな機能の施設が併設されている近代性があるのだ。

この日の訪問を筆者が発行しているメールマガジンに掲載したところ、筆者のヨーガの師匠であるA先生(日本人)からお便りが届いた。



「こんにちは。日本出張ご苦労様でした!今回も収穫が多かったことと存じます。特に、活動レポートの中では栃木県の国際医療福祉大学のことが興味深かったです。 やはり、インフラですね....」



やはりインフラだと思う。



国際医療福祉大学の経営者は、一代で大規模な医療グループを構築した相当の敏腕だそうだ。筆者は敏腕経営者にはなれそうにもないが、やり手を仲間に入れることは出来そうだ。



筆者の起業の目的は、「健康こそ幸福の基盤」という理念が目に見えるような拠点=バーンタオ村?をつくることにあった。バーンタオ村=理想的な自分自身の実現を目標に、そこからさかのぼり、今何をすべきかを考えるようにしたいと思う。今回の視察は良い刺激になった。

ちなみに昨年末のNHK紅白歌合戦の白組司会者が番組終了後、脊椎管狭窄症の手術を受けたのもこの大学の系列病院であり、執刀医も同病院整形外科部長でこの分野の世界的権威だそうだ・・・。

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※バンコク視察中、ボランティア団体の図書館を訪れたときのSさん。


(2006年7月掲載) 
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2008年03月30日

第12回「一人では食事をすることも困難な私へも――車椅子プチ一人旅体験記」

「谷田貝さま 栃木県のSです。 6/24日〜一週間のバンコク行きでは大変お世話に成りました。また、一人では食事をすることも困難な私へも、多くの経験と沢山の思い出をありがとう御座います。

今回 旅に付いてあらためて感じたことは、旅の良さとはある土地へ行くだけで無く、その土地の人とふれ合う事に有るのだろうと思いました。そうした旅を、Baantao関係者の皆様方から頂けたことを深く感謝します。」
去る6月24日から30日まで、オートバイ事故による5番頚椎損傷の後遺障害をお持ちのSさんの“一人旅”のお世話をさせていただいた。当欄でも、前回4月の旅はご紹介したが、そのときは国内から介護者の付く7人の団体旅行だった。しかし、今回はSさんと直接連絡を取りあい、タイ人介護者を手配する“一人旅”だった。


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 障害者が海外旅行へ行く場合、その介護は家族や手馴れたボランティアへ依頼することがほとんどだ。しかし、旅先での介護者を普段の生活と同じ人へ依頼する旅は、彼らへの気兼ねに加え、日常生活をそのまま旅先へ持ち込む事と同じだ。これでは健常者の「非日常を楽しむ自由な旅行」とは意味が大きく異なる。

Sさんの今回の旅の目的は、そうした障害者の旅行環境を健常者の自由な旅へ近づけて、同時に日常介護者の介護疲れを緩和(レスファイトケア)すること、旅行中の介護は全て現地へ依頼する旅が可能であることを証明する事だった。
そしてもうひとつの目的は、バンコクのバリアを調査することにより日本のバリアをより深く理解することだった。
「自分なりにはその答えを導き出せたかの感触を得ていました。しかし、帰国後に谷田貝さんのメールマガジンを読むと、カルチャーショック的な文面を目の当たりにしました。私には、谷田貝さんのような物の見方が出来ていないことに気が付かされたのです。」
そのメールマガジンとは下記のようなものだ。
「皮肉なものです。意匠を凝らした近代的なショッピングセンターも、ユニバーサルデザインの意識がなければ使い勝手の悪いものですね。古い市場は荷押し車が行き来するので、フラットだし、段差もあまり無くストレスを感じませんでした。」(6月26日付けメールマガジンより)
何気なく書いた文章だった。だが、Sさんにとってはある気づきの呼び水となったらしい。
「公共性の有る建物へスロープの無い箇所は利用者(ベビーカートや車いす利用者など)へ対する配慮が無い事は見えていましたが、それへ対する対比(説明方法)が見付かりました。この発見だけを取っても、この旅は私に対して非常に意義の有るものと成りました。今後のバリアフリー調査では、舞台の裏側も調査することに致します。」
ハードの面ではまだまだバリアだらけのタイだが、日本のバリアフリー、福祉を考える意味でも、今回の旅は実の有るものと成ったようだ。  

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第10回「行けるところではなく行きたいところへ・・・バリアフリーツアー添乗記そのC」

「ご活躍の様子毎日拝見しています。(中略)パタヤツアーでの奮闘振りを拝読していたら、昨日(4月11日付け)の天声人語がこの(筆者注:左記)ような内容でした。

(中略)日本の中では障害者の方とどうしても距離を置いてしまいがちな風潮があります。余計なことをするとかえって迷惑なのでは・・みたいな感覚。海外を体験してしまうとまったく違う、困っていると手が何本も差し伸べられる。どんどん環境が整って、誰でも旅に出て感動する権利を行使できるようになってほしいものです。ご苦労様でした。福島県葛尾村 I」
東京でのサラリーマン生活を清算し、福島県葛尾村へIターンして半農半サラリーマンの暮らしを満喫されているIさん。4月4日から9日まで、栃木県のNPO主宰の障害者グループのツアーのお世話をさせていただいた。その様子を、筆者が主宰しているメールマガジンで配信したところこのようなお便りを頂戴した。
早速、Iさんが教えてくださった天声人語を検索してみた。そしてそこにはこのようにあった。
「(前略)『かつて障害のある人の海外旅行は冒険だった。今は、行けるところではなく行きたいところへ、と望む人も多くなった』と言うのはJTMバリアフリー研究所の草薙威一郎さんだ。

空港や駅が使いやすくなり、航空会社や旅行会社の受け入れ態勢もかなり整ってきたという。

 『すべての人には旅をする権利がある』と政府の観光政策審議会が提言したのは10年前だった。『旅をする自由はとりわけ障害者や高齢者など行動に不自由のある人々にも貴重』と述べていた。障害の種類や度合いによって違いはあるだろうが、やっと『旅の権利』が現実のものになりつつあるということか。(後略)」
「行けるところではなく行きたいところへ・・・」
心に沁みる言葉だ。実は文中の草薙さんとは、今から約五年前、筆者が起業したばかりの頃お時間を頂戴しお目にかかったことがある。当時は東京駅前にあるJTBバリアフリープラザにお勤めだった。
その数日後、草薙さんご自身からもお便りを頂戴した。
「谷田貝様 ごぶさたしております。草薙と申します。インターネットを見ておりましたら、谷田貝さんの書いた日記の中で、先日の朝日新聞『天声人語』について触れられている文章を拝見いたしました。『今のことをはじめられた頃に私と会った』と書かれてありました。私もよく覚えておりますし、時々日記を見せていただいたこともありました。『あー、谷田貝さんはおいしそうにビールを飲んでいるなあ』などと・・・・」
草薙さんは、日本でのバリアフリーツアーの草分け的な存在の方だ。一度お会いしただけなのに、こちらの活動をフォローしてくださっていたとは・・・。
「あの頃から今日まで『初心忘れるべからず』と続けておられること、大変うれしく存じます。私も相変わらずですが、その気持ちでやっております。(中略)私も暖かいところが大好きです。時間ができたら谷田貝さんのところへ行って、2週間くらい今なされているお世話の仕事を勉強させていただきたいとも思います。体の動くうちに、実際のことを身をもって知っておかなくてはならないと思うからです。そちらに行かれた日本の旅行者が、うれしくて泣いている文章を拝見しました。きっとそのような丁寧なお仕事ぶりなのだろうなあと思いました。」
体の動くうちに、実際のことを身をもって知っておかなくてはならないと思うからです・・・今なお向上心を失わず、研究熱心な姿勢には、頭が下がるばかりである。  ★クロントイのシャンティ国際ボランティア会にて。

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第9回「子供たちの舞踊団とムエタイ選手が・・・:バリアフリーツアー添乗記そのB」

「ところで、本日日本で行われたK1(キックボクシング)には感動です。谷田貝さんのご紹介にてバンコクで一緒にご飯を食べた鈴木さんが、タイのブアカオ選手のセコンドで活躍するのが良く映りました。そのお陰か、ムエタイチャンプのブアカオ選手の実力か、見事 準々決勝に勝ち上がりました・・・」
 4月4日から9日まで、栃木県のNPO主宰の障害者グループのツアーのお世話をさせていただいた。これは車椅子で参加されたSさんから帰国後約一ヶ月のある日送られてきたお便りだ。
ツアーの最終日。午前中、パタヤのホテルでユックリ過ごしていただいてからバンコクへ移動、市内のサービスアパートの宴会場をかりてさよならパーティーを催した。この場には、クロントイスラムのボランティア団体シーカーアジア財団から子供たちの舞踊団6人が駆けつけてくれた。(http://sikkha.at.infoseek.co.jp/
実は、ツアー二日目にシーカーアジア財団が運営する図書館を訪れ、剣玉やお手玉でこの子達と一緒に遊んだのだ。先日とは打って変わって綺麗な民族衣装に身をつつみ、お化粧までしていて見違えるようだ。踊りを3曲も披露してくれた。
そしてさらに、三日目の観光後にムエタイ練習の見学に訪れたイングラムジムからも代表の鈴木さんと、現役選手・トレーナー4人が来てくれた。そしてミット打ち、ワイクルー=試合前の祈りの踊り、スパーリングを披露してくれた。( http://www.ingrampromotion.com/ )間近で眺めると、タイ舞踊の繊細な指先の動きもよくわかるし、ミットを打つムエタイ選手のパンチやキックの音も響いてくる。

 
 
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それぞれの披露の後、我々のツアーのメンバーと同じテーブルにつき食事を楽しんでもらった。
子供たちやムエタイ選手との通訳は私や、初日から帯同しているガイドのPさんが行った。視覚障害をお持ちのFさんは、子供たちがつけている髪飾りや衣装の手触りを確かめるように楽しんでいる。
この場に来てくれたクロントイスラムの子供たちは言うまでもなく、ムエタイ選手たちも決して豊かとはいえない境遇で育ったのだと思う。彼らにとっても、今回の経験が良い想い出となり、将来何かを考えるキッカケになると良いなと祈った。
車椅子参加でSさんは上述の手紙の中で、以下のように伝えてきた。「はじめは谷田貝さん、なんでこんなボロ屋のジムを見学するんだよと思いました。しかし、話を聞けば、ジムのオーナー鈴木さんは去年 魔裟斗にも勝利したブアカオ選手のマネージャーでした。ほんと、お陰様で、K1を見る楽しみが100倍に成りました。カナリ嬉しいです!!」
このような思わぬ発見や交流の体験が、日本から来た方にとっても新鮮な驚きとして、心の活性化につながり、ひいては身体の活性化に結びつくはずだと確信した。やはり現場は楽しい。頻繁にこうした機会を持ちたいものだ。 


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2008年02月14日

第8回「断る理由が見つからない・・・:バリアフリーツアー添乗記そのA」

「普通の旅行会社だと、マリンスポーツをやりたいと言えば、視覚障害者だというだけで、何かあったら困ると云ってことわられるのだけど、どうしてあなたは誘ってくれたの?」

4月4日から9日まで、栃木県のNPO主宰の障害者グループのツアーのお世話をさせていただいた。バンコクで2泊した後パタヤビーチで3泊の行程だ。

パタヤ滞在3日目、パタヤビーチの沖合いに浮かぶラン島へ案内した。

当日の朝。宿泊ホテルの桟橋にスピードボートを横付けするわけにもいかない。ビーチの浅瀬に係留してもらうことにする。

車椅子利用の方は、まずはボート内に車椅子をベルトなどで固定してから抱かかえで乗船していただいた。

島までは約15分ほどのクルージング。よく晴れた日で、島に近づくと海の透明度が一段ときわだってきた。

島のレストランで昼食をとった後、まずは車椅子利用のKさん(元クリーニング屋さん・脳性まひ)をビーチに連れ出し浮き輪を使って泳いでもらった。というよりも浮き輪に掴まってもらって、筆者が引っ張るのだが・・・。

Kさんは海に入るのは20年振り。言語障害はあるものの、子供のような声を上げて喜んでくれた。

Kさんに一通り泳いでもらった後、今度は浅瀬で水と戯れているだけだった、視覚障害をお持ちの女性Fさんに、ジェットスキーに乗ってもらうことにした。

筆者が長年馴染みにしているスピードボートのオーナーのところの若いビーチボーイに運転してもらい、ボランティアで参加したソーシャルワーカーを目指し勉強中の女子学生Sさんが後ろからFさんを抱きかかえるようにして乗り込む。

約20分くらい、ビーチの沖合いを走り廻ってもらった。戻ってきたFさんは、まるで少女のようにはしゃいだ声で、いかに風を感じたか、波を感じたかを語ってくれた。

それは夕食、夕食後の呑み会の席、そして帰国の日まで続いた。パタヤビーチからホテルへの帰路、車の中で、冒頭のように「どうしてあなたは誘ってくれたの?」と尋ねられた。

「う〜ん。どうしてと云われても・・・。」即答に困った。特別な理由はない。とにかく乗ってもらいたかっただけだ。せっかく来たのだから・・・。

「何かあったら・・・」といっても予想されるのは海に落ちることくらいだ。しかも、ライフジャケットを着用しているのでおぼれることもない・・・。周りには長年懇意にしている屈強なビーチボーイ達がたくさんいる・・・。その他の事故も想定はできるが、それは彼女が視覚障害者でなくても起こりうることだ・・・。

世間常識的に云って正しいのかどうかは判らない。しかし、これが筆者の思考方法だ。

つまり“断る理由”が見つからなかった。

Fさんは最後に、「こんな旅は初めて!」と感激の表情で語ってくれた。

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2007年10月07日

第7回「コミュニケーションの手段は言葉だけでは・・・:バリアフリーツアー添乗記@」

 「Sです。タイでの7日間、谷田貝さんとサポートして下さった現地の皆様へは本当にお世話に成りました。私のワゴン車への乗せ下ろしや安全面へのご配慮など、お疲れになられた事と思います。現地サポートの皆様へも、宜しくお伝え願えればと思います。(後略)」

  4月4日から9日まで、栃木県のNPO主宰の障害者グループのツアーのお世話をさせていただいた。冒頭は、オートバイ事故による頚椎損傷の後遺障害をお持ちのSさんから帰国後届いたお便りだ。
  バンコクでの観光、視察を済ませパタヤビーチへ移動した翌日、タイ滞在4日目はSさんの休養日だった。胸から下の感覚が全くないSさんは、旅行中の一日を排泄のための時間として確保しなくてはならない。
 他の参加メンバーを観光に送り出した後、筆者はバーンタオの新しいスタッフで、タイ人看護助手のYとホテルに残った。
事前にSさんからはベッドに寝る姿勢の変更、清拭の方法などについて、詳細な指示リストが送付されていた。筆者はこの日のために、そのリストを元に日本語⇔タイ語の指差し対訳表を作っておいた。朝一番でSさんの部屋でリストや排泄のための用具の配置などを確認した後、殆どすべての作業をタイ人のYに任せてみた。
その結果・・・
筆者はホテルの別室で待機していたのだが、余程のことがない限り出番は無かった。時々確認にいくと、タイ語や日本語を教えあったりしていた。
言葉の殆どできないもの同士だったが、終盤では必要な介助にもお互いに暗黙のルールも生まれたようで、かなりスムースに行えるようになっていた。
「コミュニケーションの手段は言葉だけではない。」
日ごろ、タイに住んでみたいけれども言葉ができないので心配というロングステイ志願の方に、「言葉ができなくて飢え死にした人を聞いたことはありません。退屈で死にそうになった人は知っていますが・・・」という話をしている。
「僅かな言葉や動作で異文化の人と交流ができる。」
この一つ一つの体験を楽しいと感じることができるか苦痛と感じるかが、外国で有意義に過ごすポイントなのだなと改めて実感した1日だった。
Sさんからの手紙は以下のように締めくくられていた。
「追伸  ちゃん へは、ご無理をお願いして済みませんでした。谷田貝さんより、Yちゃん へ宜しくお伝えして頂ければと思います。 楽しい旅の思い出をありがとう。本当に感謝しています。またいつか・・・」 (2005年4月掲載) 

 
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2004年01月28日

第11回「プーケット再訪 バリアフリーツアーの想い出」

「わあっ!!谷田貝さん、サワディー・カー!!(こんにちは。)お久しぶりです!!」
すれ違った看護士から突然ワイ=合掌を受けた。一瞬誰だか思い出せなかった。
125日から27日にかけて、シニア向け旅行誌の取材コーディネーションでプーケットを訪れた。半年振りのプーケットはハイシーズン真っ只中。最高気温は34〜5度と暑い。だが、爽やかな風が吹き抜け、皮膚に浮き出す汗を瞬く間に奪い去っていく

取材2日目、プーケット島内最大の私立病院B病院を訪問した。3年前、日本の身障者支援のNPOと共催でロングステイ体験・バリアフリーツアーを企画実施した。その際この病院の理事長、院長はじめ多くのスタッフのお世話になったのだ。
理事長へのインタビューが済み、病院内の取材をしていた。廊下で看護士さんとすれ違いざま、冒頭のように声をかけられたのだ。よくよく顔を拝見してみると、3年前ツアーを催行したとき手伝ってくれたTさんだった。
その当時、3人の准看護士が車椅子で参加された方たちのお世話をしてくれた。Tさんはその後看護士の資格も取得し、現在同病院の国際部に配属されている。
そのツアーで印象的に思い出すのは、なんといっても滞在最終日の空港での見送りの場面だ。何となく予想はしていたのだが、まさかその通りになるとは・・・。
車椅子利用の方は全参加者25名のうち11名。誰一人タイ語を話す方などいない。准看護士の彼女達も英語は話すが日本語などは話さない。ではどのようにコミュニケーションがとれたのか?
お客様の中には脳梗塞などの後遺症で重度の言語障害をお持ちの方もいる。日本人の小生でさえ最初は何を要求されているか判らない事も多々あった。ただ、数日一緒に行動するうちにだんだん判るようになるのだ。それは彼女達も同じだった。
もちろん肝心なことは我々が通訳するが、気づけば身振り手振り、或いは顔の表情などで、それぞれの担当するお客様とかなり細やかなコミュニケーションを取りはじめていた。
では、滞在最終日の空港で何が起こったのか・・・。ホテルをチャックアウト。プーケット空港に到着。フライトのチェックイン手続をしている間、准看護士の彼女達は、何となく手持ち無沙汰で、言葉少なく遠くの方から作業を眺めていた。
手続が終わり、お客様たちがゲートに入ろうとする時、彼女達が突然、それまでそれぞれ担当していた車椅子のお客様のところに駆け寄ったのだ。そしてお互いが抱き合って声をあげて泣きだした。彼女達はタイ語で、お客様達は日本語で、あるいは声もださず、身振り手振りで別れを惜しんでいる。文章に書いてしまうとどうも月並みな光景になってしまう。だが、とても得がたい心を揺さぶられる光景だった。
それぞれの色々な感情が入り混じり、感慨深いシチュエーションとなった。わずか4日ほどの、短い滞在だったが、言葉が充分に伝わらないからこそ、お互いをより一生懸命理解しようとした結果なのかも知れない。こうした感動の場面が魂を活性化し、健康の快復に資するに違いない・・・。今は立派な看護士になったTさん。彼女の上司の方の話では「次はいつツアーをやるんですか?とても楽しい経験でした。」と、常々いってくれているそうだ。

もう、3年も前の話だが、一緒に仕事をしてくれた人からこのように云ってもらえるのはしあわせな事だ。次回はいつ実施しようか・・・。

(2004年1月掲載)

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写真はイメージです。
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