2009年03月15日

第64回「いつも喜びの目と、しなやかな手足を持った人間であるために−『パパラギ』を読んで−」

「腹いっぱい食べ、頭の上に屋根を持ち、村の広場で祭りを楽しむために、神様は私たちに働けとおっしゃる。だがそれ以上になぜ働かねばならないのか。」

先日、筆者が主宰するコミュニティ「バーンタオ村」の会員で京都に住む女性Sさんが来タイされ、「パパラギ」という本を頂戴した。冒頭の文はその本の中からの一節だ。


概要はこちらから http://tinyurl.com/6a32q5

内容は、20世紀初頭、サモア酋長ツイアビが訪れた欧州に対する文明批評だ。素朴な、だが鋭い言葉で彼の目で見た欧州の文明が、サモアの豊かな自然、のどかな風習と比較されながら語られていく・・・。


実は二十年ほど前、ジョムティエンビーチに寝転びながら読んだことがあった今回Sさんから頂戴して再読し、20年前には分からなかった新たな気づきがいくつもあった。


本の後半に「パパラギ職業についてーーーそしてそため彼らがいかに混乱しているか」という章があるそこから一部抜粋する。


「人間は手だけ、足だけでなく、頭だけでもない。みんなをいっしょにまとめていくが人間なだ。手も足も頭も、みんないっしょになりたがっている。からだ全部、心全部がいっしょに働いて、はじめて人心はすこやかな喜びを感じる。だが、人間一部分だけが生きるだとすれば、ほかところはみな、死んでしまうほかはない。こうなると人はめちゃめちゃになり、やけになり、そうでなければ病気になる。」


なんだ、ヨーガの目的、考え方と一緒じゃないか・・・。「心と身体の統合」という。


飾り気のない言葉だが、真理をついている。

筆者は人間の幸福とは、心身とも健康であるということが基盤であると考えている。そのどちらかが突出しているということはありえないのだ。そして、前回の当欄で書いたとおり、幸福であるためには、それらにくわえて「他の人たちとの豊かな関係性」が肝心だ。

皆で「村の広場で祭りを楽しむ」ような・・・。

「パパラギ(=欧米人のこと)は自分の仕事について話すとき、まるで重荷におさえつけられたようにため息をつく。だがサモアの若者たちは歌いながらタロ芋畑へいそぎ、娘たちも歌いながら流れる小川で腰布を洗う。(中略)大いなる心(=神様のこと)は、私たちがすべての行ないを、誇り高く、正しく行なうことを、そしていつも喜びの目と、しなやかな手足を持った人間であることを望まれるのだ。」

いつも喜びの目と、しなやかな手足を持った人間であること・・・


まさに筆者がこれまで取り組んできたことであり、これからのテーマである。


「パパラギ」

そこには幸福であるためのヒントが語られている。

再読により、座右の書に加えることにした。これからの行動がぶれないように・・・。
(谷田貝)

(2008年7月掲載) 





posted by バーンタオ at 01:42| Comment(0) | TrackBack(0) | スローライフ・ロハス関連
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